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No.200 主の恵みと哀れみ 〈「満ちる」200回記念) 2016.8.28

主の恵みと哀れみ
〈「満ちる」200回記念)

しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、わたしは望みをいだく。
主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。
<哀歌3:21~23>

 若いころ哀歌を読むと、私の魂の中で悲しみや怒り、苦しみや、悩みがあとからあとから湧き出てきて、よく涙で顔がぐちゃぐちゃになった。
 自分中心な思いだけで、自分のことのみを、み言葉に当てはめて、「そうだ、そうだ」と言わんばかりに神様に向かって同調と同情を求める。
 そんな私が思いもよらず、今日また、この哀歌の3:21~23を読ませていただく。涙でぐちゃぐちゃの時、どうしてここまで読まなかったのだろうかと、自分でも笑ってしまう。たぶん読んではいたと思うし、目にも留まっていた。しかし心に留っていなかったのだ。
 とかく「自分の苦労を理解してもらいたい」と思うような、「自己中心の心」があると、都合の悪いところ、見たくないところは読み飛ばすものだ。

 父が目いっぱいの笑顔で天に召されたとき以来、私はなんだかとても幸せを感じている。たとえ高齢であったにせよ、元気な人が急に逝ってしまうのは寂しいものだ。しかし、それとは別に、父の死は天国の近さをひしひしと身に感じさせてくれる。そのうえ「幸い」が満ち溢れて来るのだ。

 葬儀の後少し落ち着いてくると、父のまねごとのような短い文章を書けるといいなと思いつつ、書き始めたのがこの「満ちる」である。
 「満ちる」という表題は、当時始めた聖書学習会で、エペソ書をまず開いたことから始まる。つまり「エペソ1:23」からいただいたものだ。
 後になって、父召天後すぐ日岡だよりに載せた「その時」と題して書いたものを「満ちるN0.1」とした。
 以来、一年に52回、今回で200回目を迎えた次第だ。当初、毎週は書けないだろうと不定期で出すつもりであった「満ちる」だが、一度も休むことなく続けられてきた。こんな嬉しいことはない、感謝である。
 日記しか書いたことのないものが、ちょうどその少し前にブログをはじめ、「ちょっと書くのに慣れたかな」という頃に、「満ちる」を書かせられたのだから、神のなさることは…何と素晴らしいことか。何より、これを飽きずに読んでくださる皆様方の愛に育まれて今がある。―――「ありがとうございます!」―――
 私は今、声を大にして言う
「わたしは怒りのムチと悩みに変えて、主のいつくしみと哀れみをいただいた。これは朝毎に新しく、主の真実は大きい。」(た)
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by mitiru-takae | 2016-08-31 23:00 | 満ちる | Comments(0)

No.199 夜通し働いても成果はゼロ 2016.8.21

夜通し働いても成果はゼロ

シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。<ルカ5:5>

昨日に続いて今日も
新聞の営業の方が我が家のチャイムを鳴らした
「○○新聞です!」
「朝刊だけでもどうですか~」
ノルマのある飛び込みの営業ほど
厳しい営業の仕事はないかもしれない

いくら働いても成果が出ない、
見えない
その日ペテロ(シモン)もそうだった
一匹の魚も取れなくて夜通し働いて明けた朝
プロの漁師の目にはど素人に見えるイエス様から
「沖へ出て網を下ろせ」と言われるのだ
プロの目にはチンプンカンプンである

ペテロは心を砕かれた感じであったかもしれない
しかし、イエス様のお言葉にバカになって従った
イ・ジェフン先生(韓国オンヌリ教会)の
「イエスバカ」の言葉を思い出す
また、松岡欣也先生を思い出す
(この先生ほどのイエスバカはいないだろう)

イエス様の手となり足となって
働き人として用いてもらいたい、働きたい
しかし、イエス様の働き人になるためには
ペテロのように
プロの常識を捨てて
「イエスバカ」の心でみ言葉に従わねば
働くことが出来ない
わたしたちがどのように夜通し働いたとしても
「イエス様のお言葉」なしに
釣れる魚は一匹もない(た)
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by mitiru-takae | 2016-08-27 13:02 | 満ちる | Comments(0)

No.198 イエス様のお言葉をいただく2016.8.14

イエス様のお言葉をいただく

イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。
<マタイ9:22>

「あなたの信仰があなたを救った」
何と凄いお言葉であろうか
イエス様が私に向かって
「しっかりしなさい 
あなたの信仰があなたを救った」
と、言ってくださったとたん
そのお言葉が
私の上に成就するのだから

私たちの信仰を
イエス様がその愛と哀れみで覆うとき
「しっかりしなさい」と
いわれた私たちの小さな信仰が
イエス様の完全な信仰と共鳴させられる

わたしの信仰ではない
わたしの熱心でもない

ただ、癒されたいと願い続け
時には疲れ果ててうずくまりながらも期待して
腕を伸ばし主の上着の房にさわろうとするならば
イエス様のお言葉をいただける

主は私の求めを知っていてくださる
私に直接お言葉をくださる
そのとき、主のお心が私のうちに実現する

信じる者は幸いだ
何も見ずとも、聞かずとも
イエス様のお言葉が私のうちに響くのがわかる(た)
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by mitiru-takae | 2016-08-19 15:23 | 満ちる | Comments(0)

No.197 私は負けない 2016.8.7

私は負けない

すると突然、彼らは叫んで言った、「神の子よ、あなたはわたしどもとなんの係わりがあるのです。まだその時ではないのに、ここにきて、わたしどもを苦しめるのですか」。<マタイによる福音書8:29>

レギオンというものすごい数の悪霊に
とりつかれた男二人
イエス様に出会ったとたん叫びだした

「神の子よ」
―弟子よりよく知っている―
「何のかかわりがあるのか」
―かかわりたくもない相手に出会ってしまう―
「まだその時ではないのに」
―サタン、また手下の悪霊たちは知っている、
終わりの時が必ず来ることを
だが、人間は知らない、考えない、知りたくもない人が多いだろう―
「ここに来て私どもを苦しめる」
―イエス様が来ただけで悪霊どもは苦しむのだ―

だから私はサタンに向かってあざ笑う!
イエス様は勝利者だ
イエス様が私の味方だから
私は闘える
怖くても、立ち向かう
ダビデがゴリアテの前に立った時のように
主がヨシュアたちの手に
アモリ人を渡されたときのように

主がわたしに味方されるので、恐れることはない。人はわたしに何をなし得ようか <詩編118:6> 

喜ぼう!喜ぼう!喜ぼう!
笑おう!笑おう!笑おう!

つらい時こそ叫ぼう!
「イエスの名によって勝利!」(た)
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by mitiru-takae | 2016-08-12 13:08 | 満ちる | Comments(0)