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No.148 神との和解こそ真の平和 2015.8.30

神との和解こそ真の平和

 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。 <エペソ人への手紙2:14~16>
 
 「神との和解」という言葉は、キリスト教の独特な考え方のように思えます。そこには、人間の罪というものが、神との和解なくしては消えることがないという教えにあります。
 しかし、この和解は「お金」や「物」や「権力」、この世のいかなる「名声」をもってしても手に入れることは出来ません。
 ただ、イエス様の十字架による贖いを信じること、それだけです。イエス・キリストの十字架なしには何人たりとも神の御前に出ることすらできないのです。
  
 私たちがどんなに「いい人」ぶっていたとしても、心の中に「神に受け入れられないもの」をもったままでは、罪からの救いどころか隣人同士のコミュニケーションですら、危ういものがあります。 
 私とあなたの間にある「中垣」をとりのぞき、二つのものを一つにすることが出来るのはイエス様だけです。
 たとえば、選民と異邦人、クリスチャンとノンクリスチャン、また、宗教と科学、戦争が起これば、私たちは「敵と味方」に分けられてしまいます。その時、これを一つにして和解させるには、人間の知恵はあまりに浅はかです。 
 二つのもの間にある「敵意」を取り去ってしまわなければ、一つになることなんて到底出来ないことなのです。
 
 私たちは地上にある「あらゆる敵対するものが一つになる日が来る」を信じて祈ります。それは神様への希望であり、必ず来てくださる再臨のイエス様への待望です。
 たった一人の人の祈りと願いと求めから、すべては始まっていきます。
 この祈りが宇宙(被造物のすべて)のあらゆるところから集まり、一つとなって大きな渦となり、イエス様の御座に到達する、そんな思いを込めて祈りをやめることなく、とことん祈り続けていきたいのです。
 真の平和はまず、わたし(あなた)の心の中から敵意を取り去っていただくことからです。方法は「イエス様の平和を心のうちに持つ」ことでしょう。
 私たちが望み、求めるならばイエス・キリストの十字架による平和が必ず私の心のうちに実現します。これこそが世界の平和へとつながっていくのではないでしょうか。(た)
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by mitiru-takae | 2015-08-31 23:00 | 満ちる | Comments(0)

No.147 約束の「贈り物」 2015.8.23

約束の「贈り物」

 見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい」。 <ルカに 24:49>
 
 子供たちは、今でも昔のように「ゆびきりげんまん・・・」と歌っているような気がしますが、信じることが出来ないもの同士の約束は、「指切り拳万!」「針千本飲ます!」ということになるのでしょうか、怖い歌でもありますね。
 ところが、神様の約束は「贈り物」です。
 また、「力」を授けてくださるという、私たちにとって、動く原動力とも言うべき素晴らしいエネルギーをもたらしてくださるということでもあるのです。
 その条件は「都にとどまっていなさい」です。
 弟子たちは、イエス様が言われたように、エルサレムを離れることなく、心を合わせ、ひたすら祈っていたのです。
  
 私たちの日々の祈りの中で、「ひたすら祈り続ける」こと、「主のお言葉を待つ」ということは、とても大切なことです。ともすると、「う~ん、もういいや!」「やっぱり、神様は私の祈りを聞いてくれない!」といって、祈ることを投げてしまうことすらあります。
 このような時、最も信頼できるお方との約束を思い出してみましょう。神様自身が確信してくださっている約束の成就です。
 神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。<ローマ4:21>  
 イエス様は繰り返し約束のお言葉を弟子たちに言ってきかせたのでしょうが、何度言っても弟子たちは理解できていませんでした。
 復活のイエス様を目の前にして、弟子たちはまだ「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。<使徒1:6b> と言っています。弟子たちには、まだまだ「祈って待つ」ということが必要であったのかもしれません。
 
 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。 <使徒1:8>
 
 約束の地にとどまり、心を合わせ祈り続けるならば、私たちは聖霊様による証人として、全世界へ、そして地の果てまでも出て行くことが出来るに違いありません。
 あなたを待っている「地の果て」は果たしてどこでしょうか。
 
 祈るときはいつも、イエス様が約束してくださった「贈り物(聖霊様の働き)」に期待し、喜びを持って日々勝利を確信していきたいですね。(た)
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by mitiru-takae | 2015-08-27 09:23 | 満ちる | Comments(0)

No.146 神の知識を知る 2015.8.16

神の知識を知る

 あなたは知っているか、雲のつりあいと、知識の全き者(完全な知識を持つ方【新共同訳】)のくすしきみわざを。 <ヨブ記37:16>
 
 神様は、まず天と地を創りましたが、その前はどうだったでしょうか。ヨハネはこう書いています。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。<ヨハネ福音書1:1>
 「言」とは何だと書かれているでしょうか。まず「神」、そして「全てを創られたもの」、「命」、「人の光」、「闇に勝つ光」とあります。そしてこの光は神のひとり子としての栄光、めぐみとまこととに満ちたイエス・キリストです。
 
 私たちには完全な「無」を理解することが出来ません。
 このお方がいた全ての初め、まだ何も無かった時にいたお方をも、私たちは想像すら出来ません。また、私たちの持っている知識は、とことん、創られたものの知識でしかありません。
 創造主のお心を、どうやって知ることが出来るでしょうか。それは、神様自身の持っておられる知識そのものでしか理解することができません。
 そのため神様は、様々な奇跡と、証を私たちに下さるのです。御手の業を見てようやくわたしたちは、創造の世界(神の知識)の一端を知ることができます。
 
 空を見るとき、雲の流れを見るとき、山や、川、海を見るとき、この世界が「サタンに支配されている」世界のようには見えません。
 しかし、世の中を見つめてみると、「黄金の冠をかぶった、経済という支配者が、政治、軍事力、宗教のすべてを支配してサタンの前にぬかずいている」という感じです。
 サタンの支配下にあるもろもろの権威は、恐ろしいほどの力をもって、私たちの前に進みよってくる、そのような時代が来ています。
 しかし、神様の救いの御業は完了しています。私たちは信じるだけです。
 創造のはじめから、今の時代の到来はすでにわかっていました。私たちが、この世に生まれ、必ず死んでいくのと同じように、世界の誕生も、消滅も、すべて決まっています。
 
 その只中に、神様は、どうして私を置かれたのでしょうか。
 神様の知識、御業が、一人の私(あなた)という人間の救いによって、新しい創造を生み出すことが出来るからです。
 神様の新しい創造(新エルサレム)のために、私たちは日々神様を賛美し、イエス・キリストの名によってサタン、悪霊どもに立ち向かい主のための戦いをヨシュアのごとく勝利し、ひるまず前進して行くことだと強く感じています。マラナタ! (た)
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by mitiru-takae | 2015-08-21 08:21 | 満ちる | Comments(0)

No.145 お祈りありがとうございます/命の木に帰ろう 2015.8.9

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 「さあ、私たちはサタンの一番いやがることをしましょう」日曜礼拝の司会者S姉の呼びかけで、「ハレルヤ!イエス様!ワッハッハ!」を三回、大きな声で叫び喜ぶ声がボイスレコーダーから聞こえてきました。
 先週の礼拝にお休みをいただき、皆様には大変ご心配をおかけいたしましたが、今は腸も落ちつき、感謝しています。
 症状のくわしいことはさておき、主のご計画には何一つ間違いも躊躇もありません。唯、前進していますので、私は受け入れるほか何もする事が出来ません。というより、何もしないで良いのですね。
 ただただ、主のあわれみを受けるのみで、いつも共にいてくださるイエス様にそして私の為に祈って下さる皆様に心から感謝いたしました。ありがとうございます。(た)

命の木に帰ろう

 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。(創世記3:24)
 
 神様は天地創造の最後に、ご自身に似せて人間をお創りになりました。
 創世記第一章、二章では、創造の冠として創られたアダムとエバのすばらしい神様の祝福に満たされたエデンの園のことが書かれています。
 ところが、三章に入ると、このエデンの園にサタンが入り込んで来ます。ヨブ記の初めの方を見てもわかりますが、サタンは天国の会議にさえまぎれ込むというおそるべき者ですが、当然、神様の支配下にあるわけですから、私たちは神さまに委ねるだけです。
 狡猾な蛇(サタン)は二人の一番弱いところにキリで穴をあけるようにもぐり込んで来ます。
 だまされたエバは「神のようになりたい」もしかしたら「夫のアダムよりもかしこくなりたい」という思いがゴマつぶのようにひそんでいたのでしょうか、まんまとサタンにしてやられました。
 この時、神様がせっかく人間に下さった「自由意志」をサタンは自分の支配下にとり込んでしまったのです。
 つまり、世界は人間の罪によってまったく180度かえられてしまったのです。神様の望まれるとおり、「命の木の実」を食べていれば、この世界はすべて神の支配へとかえられていくところだったでしょう。
 イエス様の犠牲の象徴ともいえる動物の皮衣とひきかえにエデンの園に入れなくなった二人は「命の木の実」を食べることができなくなりました。
 しかし、ここから、私達の罪のあがないのためのみわざが始まります。この時から「イエス・キリストによる外に救いはない」、「命の木の実はイエス・キリストのもとに来なければ食べることが出来ない」ということになってしまいました。
 「私たちが選ぶべき道はイエス・キリストの十字架(命の木)です」ということを、神様は創造の初めから用意されていたのですね。
 (7月30日聖書学習会にて)(た)


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by mitiru-takae | 2015-08-12 10:16 | 満ちる | Comments(0)

No.144 食卓でパンを裂くイエス様 2015.8.2

食卓でパンを裂くイエス様

 一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。 <ルカ 24:30,31>
 
 クレオパたちはエマオに行く途中で復活のイエス様に出会いました。
 しかし、共に歩いていたときは、それがイエス様だとはまったく気づかなかったようです。
 二人が道々、今日あった出来事を話しながら歩いていた時、イエス様が近づいてきてくださいました。
 
 私たちもイエス様について、また私たちの信仰について、互いに証しをしたり、聖書について熱心に語り合ったりするときなど、神の家族が交わるときは、いつでも、イエス様はご自身のほうからすすんで近づいて来てくださいます。 
 そうすると私たちはいつのまにか心を燃やされていきます。イエス様にみ言葉を(聖霊様による啓示)示されると、魂がぐんぐんとイエス様に引っ張られていくようになります。聖霊様に魂を満たされていくからです。
 
 クレオパたちも復活のイエス様のお言葉に聞き入っているうちに心が燃え上がって来たのです。
 エマオに着いたとき二人は、先に進もうとするイエス様を引き留め、家にお連れし、夕食を用意し、飢えた魂を潤そうと求めました。
 食事の時間となりました。イエス様がパンを取り、祝福し、裂きました。その時のイエス様がパンを裂く手を見て、二人は霊の目が開かれ、復活という事実を真に知るに至ったのです。
 
 イエス様を私たちの心の家にお迎えしましょう。
 私たちの魂の中で、イエス様がご自身の命であるパンを裂く瞬間、私たちの霊の目が開き、見えるようになります。
 イエス様が私の心の主(あるじ)となってくださった証です。
 
 彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。<ルカ24:32>
 
 私たちの心は、毎日燃えているでしょうか。
 「暑い」も「よだきい(大分弁でだらしい)」も「エホバの熱心」で満たしていただきましょう。イエス様が、そばで語ってくださると、不思議と元気が出ます。
 私の心の中は、いつもイエス様主催の宴会が開かれています。ハレルヤ!(た)

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by mitiru-takae | 2015-08-05 10:45 | 満ちる | Comments(0)