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No.143 聖書の真実 2015.7.26

聖書の真実

 世の人々にとって、イエス様の復活の話は、十字架で死なれたというおろかな話以上に、「ありえない話」と言われかねないものですね。
 聖書には、「こんなことは書かなければいいのに」という記事がたくさん出てきます。
 愚かな「罪びと」と、あわれみに富んだ「神様」の真実を書こうとすると仕方のないことです。
 神様はそんな愚かな私たちの全てを知った上で私たちを愛してくださっています。出来の良い人だけが、救われるとしたら、この世に救われる人はいないでしょう。
 また、眉をひそめるほどのことを書いているのも、新旧あわせた聖書のすべてが真理に導く書物であるからです。
 
 そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着たふたりの者が、彼らに現れた。<ルカ24:4>
 
 日曜日の朝早く、マリヤたちは香料をもってイエス様のお墓に行きました。お墓の蓋をしていた大きな石は転がされていて、中に入ってみるとイエス様のお体がありませんでした。
 誰も見ていない墓の中で起こったことを知っていたのは、神様と御使いでした。そしてこのことが確かであるという証人として二人の者が現れたのです。
 天の者が証人ですから、このことは確かに事実であり、真実なことです。
 
 すべての事がらは、ふたりか三人の証人の証言によって確定する。<Ⅱコリント人13:1b>
 
 神様は、この知らせを一番先に当時身分の低かった女たちに示してくださいました。とかく自分より低く見ている者達の声は、聞かないものです。使徒たちといえども例外ではありませんでした。
 
 ところが、使徒たちには、それが愚かな話のように思われて、それを信じなかった。<ルカ24:11>
 
 私たちにとっても、信じがたい聖書の言葉はたくさんあります。しかし、幼子のような一途で純真な心でイエス様の声に耳を澄ますならば、十字架の意味も、復活の喜びも、すべてマリヤたちと共有することができるでしょう。
 人間の歴史の中でも、復活のイエス様に最初に会うことの出来た女たちは、なんて劇的で、凄い体験をしたんだろうかとちょっぴりうらやましいかぎりです。しかし、今の私たちにとっても救いは劇的なんだなと思います。イエス様の愛は、昔も今もこれからも変わることがないからです。(た)
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by mitiru-takae | 2015-07-28 09:30 | 満ちる | Comments(0)

No.142 血と水 2015.7.19

血と水

 しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。<ヨハネ19:34>
 
 兵隊たちはユダヤ人の安息日を前にして十字架上に死体を置いておくわけにはいかず、罪人たちの足を折って死を早めました。イエス様はすでに死んでいたので、御言葉(申命記21:22、民数記9:12)にあるとおり、折らずにすんだのです。
 しかし、そのあとイエス様はわき腹をやりで突き刺されました。そのとき流れ出たのは血と水であったと書かれています。
 この血こそ、イエス様の命そのものです。血の中に命があるからです。
 そしてイエス様のくださる水を飲むものは決して渇くことがありません。
 十字架で流されたイエス様の血と水をいただくならば、決して渇くことがなく永遠の命に生きることが出来るでしょう。
 
 わたしは命のパンである。<ヨハネ6:48>
 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。<ヨハネ7:38>
 
 イエス様が十字架にお架かりになってからのことを、一部始終見ていたものが言いました。聞いた者も、それが本当のことであること、真実であることを知っているといいます。
 
 百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、「ほんとうに、この人は正しい人であった」と言った。<ルカ23:47>
 
 それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたがたも信ずるようになるためである。<ヨハネ19:34、35>
 
 イエス様が十字架にかかって死なれたのは、真実なのです。神様が私たちに下さった「真実なこと」を取りあげてみます。
 イエス様が、この世に生まれてくださり私の心の中まで来てくださったこと。
 イエス様は私の罪のために十字架にかかり、私の罪と共に死なれたこと。
 イエス様は復活されて、私も共に新しく生まれ変われたこと。
 イエス様は天に昇り、父の権威を全て受け、私もイエス様の名の権威を授かったこと。
 聖霊様がまず、使徒たちの上に下り、私にも臨んでくださったこと。
 
 イエス様の生誕、十字架、復活、昇天、聖霊降臨によって、天においても地においても私たちは勝ち得て余りある人生を約束していただいているのです。(た)
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by mitiru-takae | 2015-07-23 09:09 | 満ちる | Comments(0)

No.141 あなたの為に用意された場所 2015.7.12

あなたの為に用意された場所

 ルカによる福音者23章に書かれている、イエス様が十字架の上からお語りになったお言葉をあげてみました。
 
 「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」<ルカ23:34>
 「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」<ルカ23:43>
 父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」<ルカ23:46>
 
 イエス様が十字架にお架かりになっているその下で、イエス様の着物はくじ引きにされ、役人たちや民衆はこぞって十字架を見上げてあざ笑っていました。
 この人たちは、本当に何もわかっていないなさけない人々ですが、イエス様にとってはわたしたちと同じ救いの対象であったのです。
 
 また、イエス様と共に十字架につけられていた二人がイエス様の両隣にいました。
 苦しみの最中で言ったふたりの言葉はまったく違うものでした。ひとりはイエス様に悪口をいい、一人は、それをたしなめイエス様にお願いをしたのです。「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。
 イエス様は思い出すどころではありません。「あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいる」と言ったのですから、仰天です。
 私たちもこの罪人と同じです。罪びとであるということもさることながら、もし死んでも、私たちは今日、イエス様の臨在する天国に行けるということも、彼と同じです。
 苦しみのどん底であっても、イエス様のお言葉を信じるならば、私たちは間違いなく天国に行きます。
 
 イエス様が「わたしの霊をみ手にゆだねます」と言えたのは、父なる神様に対する、イエス様ご自身の信仰があるからです。神様に委ねることは勝利することです。
 それがそのまま、イエス様と私たちの関係であるならば、「天国行き」は確定したも同然です。「天国行き=救われていること」の確信は、イエス様に私の心を委ねるとき確かなものとなります。
 
 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。<ヨハネ14:1,2>
 
 イエス様が臨在するパラダイスの家は、私のために主が用意してくださった場所です。また地上のパラダイスは、イエス様を信じるあなた自身の心の中にあるはずです。(た)
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by mitiru-takae | 2015-07-17 15:37 | 満ちる | Comments(0)

No.140 イエス様を喜ばす真の喜び 2015.7.5

イエス様を喜ばす真の喜び

 ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上にかけさせた。それには「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書いてあった。<ヨハネ19:19>
 
 ユダヤ人の祭司長たちがピラトに言った、「『ユダヤ人の王』と書かずに、『この人はユダヤ人の王と自称していた』と書いてほしい」。
 ピラトは答えた、「わたしが書いたことは、書いたままにしておけ」。<ヨハネ19:21、22>
  
 史実のピラトがこういう人であったかどうかは別として、ルカによると、ピラトは知らぬままに神の御心を反映した言葉を発したように書かれています。神の御意志とご計画は、歴史の中で三つ撚(よ)りの強い糸のように切れることなく、今も続いています。
 イエス様の十字架そのものが、サタンの策略を逆手に取った、父なる神様のご計画です。どんなに優秀な策士が考え付くよりもすごい、神様の御手の業なのです。
 わたしたちも、このような神様のご計画の中で生きています。
 「どうして、私だけがこんなつらい目にあうのだろうか」
 「世界中で、私ほど苦しみにあっている人はいないでしょう」
 この世では、自虐的に生きる人が結構多いものです。自分を苦しみのヒーローか、ヒロインのように、とにかく他人にその苦しみを認めてもらいたいと思うのです。
 しかし、惑わされてはいけません。他人に自分を同情してもらっても何も解決しませんし、苦しみは、そのままその人の中にあり続けるのです。私たちを苦しいと思わせるのはサタンです。惑わすのもサタンです。
 私たちの敵はサタンなのです。
 このサタンは、この世では支配者ですが、いかに強くとも、彼は完全に、昔も今も神様の支配下にあるものです。天に於いて彼の居場所はすでにありません。
 
 ハンナは祈って言った、「わたしの心は主によって喜び、わたしの力は主によって強められた、わたしの口は敵をあざ笑う、あなたの救によってわたしは楽しむからである。<サムエル上2:1>
 
 イエス様は勝利者です。死にいたる十字架でさえも栄光に変えられました。
 私たちもハンナのように、敵をあざ笑ってやりましょう。「フフフ、クスクス」と、ついには吹き出してしまうくらいあざ笑ってやりましょう。
 そうすると私たちはイエス様の十字架を喜び、自分の十字架と思える辛いものでも笑い飛ばすことが出来るでしょう。
 
 私の喜ぶ姿を見て、イエス様も喜びます。「イエス様の喜びが私の喜び、私の喜びはイエス様の喜び」となって、私のうちに満ち溢れるのです。(た)
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by mitiru-takae | 2015-07-09 10:08 | 満ちる | Comments(0)