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神の教会は進む 2014.12.28

c0265111_23132376.jpg神の教会は進む

 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。 <ヨハネによる福音書14:6>
 

 「愁いある獄にしあれど主によりて生かさるる身の幸に我が酔う」
 これは、「事業を生かす信仰」のなかで父(釘宮義人師)が紹介している、自身の獄中での回心時にうたった短歌である。
 刑務所に入る体験を経験している方はそういないと思うのだが、戦争という平常の生活の出来ない事態の中で、それも兵役拒否等で刑務所の中にとらわれているという、それだけでとても自分が幸とは言いがたいのが普通であろうと思う。しかし、神様は私たちを捕らえる場所を選びはしないのである。
  
 父の父、私の祖父(釘宮太重)もそうであった。若くして喘息でこの世を去った祖父であったが、逆境の最中、火事になったかと思うくらいの不思議な光の中、主の臨在を体験し、回心したという。
 「いや私にはそのような体験はないけれど、今確かにイエス様を信じて生きている」という方もいると思う。様々な場所で、様々な状況下でイエス様は確かにわたしたちの心を掴んで下さっている。
 
 同じように私たちの教会「キリストの福音大分教会」をイエス様がしっかりと捕まえて下さっていることを心から感謝する。聖霊様の満ち溢れるエクレシアが確かに存在している。教会にもいろんなことがあった。しかし、いつも主の道は前に開いていたし真理から外れることなく教会は進んできたのだ。
 イエス・キリストを頭とする教会の体である一人ひとりが、イエス様の血潮で覆われ、命を満たされ続けてきた。そして今年もあっという間に一年が過ぎ、あれよあれよと言う間にクリスマスが終わり、新しい年を迎えるときがそこまで来たのである。 
 
 何でもないような私たちの日常が、聖霊様を通して見ると凄く劇的で、奇跡に満ちている。イエス様に導かれて進む人生は私たちの想像を絶する戦いと勝利の連続であり、どんな小説や映画よりも希望と喜びに満ちた最高のドラマを見ているようである。
 
 主にある希望と喜びを次の年2015年に繋いでいきたいと思う。今年を心から主と教会の皆様に感謝してやまない。ありがとう!
 以下は来年の指標聖句である。(た)
 
 いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい。
 これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
 <テサロニケ人への第一の手紙5:16~18>


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by mitiru-takae | 2014-12-30 23:18 | 満ちる | Comments(0)

Merry Christmas! 2014.12.21

Merry Christmas!

 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。 <ルカによる福音書2:11,12>

 
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 「待ち焦がれた日」がついにやって来た。すやすやと眠っているイエス様を見る時、ヨセフとマリヤは疲れも吹っ飛ぶほどの大きな喜びを飼い葉おけの中に見つけたことであろう。

 春くらいから続けてきた創世記だが、45章をみるとヤコブは死んだはずのヨセフがエジプトで生きていると聞いて気が遠くなったと書いている。簡単には受け入れられなかったのだ。兄たちがヨセフを売ったという事実もあったし、ヨセフがエジプトの宰相になっていたということもヤコブにとっては容易に信じられることではなかった。ただ呆然としたのである。しかしこのあと、ヤコブを元気にさせたものがある。
 そこで彼らはヨセフが語った言葉を残らず彼に告げた。父ヤコブはヨセフが自分を乗せるために送った車を見て元気づいた。そしてイスラエルは言った、「満足だ。わが子ヨセフがまだ生きている。わたしは死ぬ前に行って彼を見よう」。<創世記45:27,28>
 多分、びっくりするほど立派な車であったのだろう。
 
 ヤコブが言ったことと同じような言葉がある。
 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます、わたしの目が今あなたの救を見たのですから。<ルカによる福音書2:29,30>

 きよめの期間が過ぎ、両親がイエス様を神にささげるためエルサレムの神殿に来たとき、信仰の厚いシメオンという老人が、聖霊に導かれて神殿にやって来た。シメオンがイエス様を抱き上げ神を賛美し言ったことばである。
 私たちを生かす大きな喜びが生まれた。これを私たちは見ることが出来るのだ。「大きな喜び」「私を元気にしてくださるもの」これがクリスマスだ。ハレルヤ!(た)


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by mitiru-takae | 2014-12-24 08:33 | 満ちる | Comments(0)

奇跡 2014.12.14

奇跡

 律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。<ヨハネによる福音書1:17、18>
 
 唯一の創造主なる神様が、他にはいない、ただ一人の御子を私たちにくださった。人の形としてこの世に存在させて下さったのは聖霊様だ。神様の愛が御子イエス様という恵みを聖霊様によってこの世に顕して下さった。これはすべて神様の御手の業であり、ご計画によるものである。
 イエスと言うお名前は、ギリシャ語「イエスース」からきている。またヘブル語では「イエシュア」といい「主は救い」という意味だ。神様はイスラエルの民をエジプトから救いだすために、モーセをお立てになった。だがイエス様は人類のすべてを救い出すために来られたのである。
 私たちの救いのために、神様が人としてこの世に生まれてくださった。イエス様は神様からの最高のプレゼントだ。
 イエス様は、この地上に来られて聖書のお言葉をことごとく成就してくださる。新天新地に私たちが神様と共に住まうその時が、もう既に私たちの中に成就していく。イエス様を受け入れ、信じるならば、「神と人とが共に住む」(インマヌエル)お方が私の魂のど真ん中に座っていてくださるからだ。
 イエス様によって神様のお言葉はこの私たちの中に成就するのである。
 
 12月7、8日に東京秋川にある、キリストの福音秋川教会に行ってきた。秋川教会に行く前にお伺いしたN姉妹のお宅で、姉妹の眼の治療に関する神様の奇跡のお証を聞いた。まるで失望してしまいそうなアクシデントさえも今思うと奇跡だったとしか思えない。そして再手術の予定であったのが、手術前の検査をしてみるとすっかり眼のレンズはクリアになっていて、再手術はしなくてすんだという訳なのだ。神様の御業を心から感謝して、共に礼拝することが出来た。
 また秋川教会では2週間くらい前にK兄弟が脳梗塞で倒れ病院に運ばれていたのだが、初めは右手がうまく動いてなかったし、言葉もなかなか思うようにでなかったらしい。
 皆で祈り、またお世話をしていくなか、病院に見舞いに行った滝澤伝道師も腕がしびれるほどに渾身をこめて祈ったそうだ。ここでも奇跡が起きて、私たちが行った時には、手を握ったり開いたり伸ばしたりしていて、言葉も声は小さいけれどニコニコして話して下さるほど回復していた。皆さんの祈りが主に届いていたのだ。
 秋川教会では、夜クリスマス礼拝の中で聖餐式をすることが出来、感謝の中、賛美の歌声と共に祈りの声が響き渡ったのである。
 「毎日がクリスマス」と生前釘宮義人牧師が毎年のようにクリスマスになると語っていたのを思い出すが、確かに私たちクリスチャンにとっては、毎日がクリスマスの星の下であり、イエス様の十字架の前であり、イースターの朝であり、ペンテコステの二階座敷である。これより大きな奇跡は無い。(た)
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by mitiru-takae | 2014-12-20 10:56 | 満ちる | Comments(0)

インマヌエル 2014.12.7

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 「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
             <マタイによる福音書1:23>
 
 アドベントに入った11月30日(日)午後4時から「音楽館」というライブハウスで「LOVE for ふくしま」チャリティライブ&メッセージというイベントがあった。これは、大分のキリスト教会の牧師、信徒の有志で結成された実行委員会の主催によるもので、「原発事故によるふくしまの方々の心の傷、痛みに寄り添いたい、何も出来ない私たちだがせめてこの事故のこと、皆さんのことを忘れない」とライブ中継で心を共有しあったチャリティイベントであった。

 さらに12月2日(火)に「ふうけもん」という映画が大分駅近くにできたホルトホールという会場で上映された。この「ふうけもん」の上映会は日本全国を回り、残すところあと6会場ということらしい。
 映画「ふうけもん」は家族や、友人に案内しやすいもののようであったが、なかなかこの機を充分に生かすことは出来なかった。二つのイベントが重なったというのは言い訳にしかならないと思うが少し残念な気がした。
 というのも、会場の広さ、音響などの設備が素晴らしく栗山監督は日本一の会場だとさえ言っていた。もっと沢山の方々に見てもらわねばもったいないというところだ。しかしメディアも殆ど使っていない、私たちもさほど宣伝もしていないというなかで結構な人たちが集まって来ていたということや、私たちが帰る時入ってきた老婦人が「新聞のイベント欄をみてきた」といっているのを聞いたこと等、要するにもっと早くから少しずつでも宣伝していたならばもっと会場を埋め尽くすことが出来たのではなかったのかということだ。

 しかし、全ての事は神のみ手の中にあり、神の御心だけが成就するものだ。何時も主とともに過ごす生き方を選択しさえすれば、何があっても何処にいても悲観することはない。主の手足となって働くためにも主から離れないようにしっかり標準を合わせて歩んで行きたい。勿論私が離れようとしてもイエス様は離れない。
 全てのことがあい働きて益となるのならこんないいことはない。ただ委ねていく、それをごく自然に、当たり前のように受け止めて生きたい。出来ないことをことさらウダウダと悔いてばかりではなさけない。またそんな弱い自分であることが、かえって愛してもらえる理由であると思えば嬉しいではないか。だからイエス様を心から慕ってついて行こう。

 イエス様はインマヌエルと呼ばれる。それは神と人とが共に住むという私たちの思いを超越したものである。そしてこのことは私たちに下さった神の約束であり、イエス様によって聖書の創世記から黙示録までが成就したということでもある。神がキリストとして共に住みたいと望んでいる者は他でもない私たちなのである。(た)
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by mitiru-takae | 2014-12-20 10:53 | 満ちる | Comments(0)