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あなたの神、主を心に据えよ 2014.9.28

あなたの神、主を心に据えよ
 
 主はヤコブに言われた、「あなたの先祖の国へ帰り、親族のもとに行きなさい。わたしはあなたと共にいるであろう」。<創世記31:3>
 
 ヤコブへの神の言葉は、「帰れ」という特別な言葉だ。
 アブラハムは信仰の父として、大いなる祝福を得た。イサクは父アブラハムの祝福と財産の全てをうけついだ。妻さえも父によって用意してもらったのだ。
 ヤコブはというと、父を騙し兄エサウから長子の特権をとりあげながらも、祝福の継承者として神からも認められた約束の者となった。しかし、父イサクとは違い、妻を自分で見つけだし財産の全ても自分で築いていかねばならなかった。
 旅立ったヤコブは叔父ラバンの所に来て妻と子供を得ることが出来た。しかし、財産はと言うと、まだ何ももってはいなかった。ヤコブはまったくラバンの奴隷扱いであったのだ。
 いつか時がきて、出てきた地に帰るのだという約束(神の言葉)をいただいているにもかかわらず、ヤコブは愛する妻ラケルのために14年と言う長い年月働き続けたのである。
 ここからヤコブの応酬がはじまる。ラバンに「私と妻たちを故郷へ帰らせてください」と言えば、「望みの報酬を出すから、ここにいてくれ」という返事があることくらいはわかっていたであろうし、ヤコブは「提案する策」も考えていたであろう。
 ラバンも知っていたのだ。ヤコブの神によって彼の仕事は祝福され、自分の財産は増えていったのだということを。だからなんとしてもヤコブを失いたくないはずである。
 ヤコブの冴えた頭は、経験と知恵から凄いアイデアを生み出すのだ。今の時代であればどれほどの実績を積む優秀な企業人であることか、大きなビルがいくつも建ったであろう。
 6年をかけてヤコブは自分の財産を築き上げた。この人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだ、ろばを持つようになった。<創世記30:43>とある。
 しかしこれは世で言う成功者の話ではない。神のご計画の中のほんの一端でしかないからだ。神は富ませようと思えば富ませる。反対に全てを取り去ることも出来るお方である。つまり全ては神の手にかかっているのだ。
  
 あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためであった。<申命記8:18>(新改訳)
 
 今の私たちには形だけでなく、眼には見えないが、見えるものよりも優れた大いなる財産が神の約束として与えられている。これこそ私たちの救い主イエス・キリストに他ならない【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-09-30 23:00 | 満ちる | Comments(0)

二人の妻によって 2014.9.21

二人の妻によって

 9月14日は、礼拝後、昨年同様近くのファミレスで教会の敬老会を行った。少人数ではあるが、いわば教会の精鋭部隊、頼もしい姉妹たちである。
 自分や家族の病また、問題など、それぞれにかかえてはいるのだろうけれど、主に支えられて、皆つややかな顔でテーブルの前に座っている。素晴らしい主の家族だ。心の中で「ありがとう、ありがとう」と思っていると、自然に笑みが浮かんでくる。
 箴言17:6に「孫は老人の冠である。父は子の栄えである。」とある。私にとって今、目の前にいる姉妹方こそ、主に与えられた私の冠、私の栄えであると、喜ばずにはおれない。なんと私は幸せなのだろうと、今日も感謝で過ごす。
 
 さてラバンにはふたりの娘があった。姉の名はレアといい、妹の名はラケルといった。
 レアは目が弱かったが、ラケルは美しくて愛らしかった。<創世記29:16、17>
 
 これは一体誰の評価であろうか。ヤコブがラケルの容姿、容貌に惹かれたのは確かであろう。彼女を妻にするための7年間の労働がほんの数日のように思えたというのだから、ヤコブのラケルへの思い入れは相当なものだ。
 ラバンにとってはレアをとにかくラケルより先にヤコブに嫁がせたいという考えが初めからあり、二人を妻とさせるための思案が既にあったのであろう。
 以前は父イサクをだましたヤコブが、今度はラバンによってだまされることとなる。そしてヤコブは二人の妻をめとることになる。ラバンの画策でさえ、神の側では想定内だ。
 ヤコブに愛されないレアは神の哀れみを受けて7人もの息子を得た。比べてラケルのほうはというと愛されても愛されても、なかなか子供を与えられない、という皮肉な事態であった。どちらがヤコブの子を多く生むかで、幸福の取り合いである。
 神様は、この二人の妻とそれぞれのつかえめによる息子、後に生まれるラケルによるヤコブの末っ子ベニヤミンをいれて、合計12人の息子を得させたのである。この12人こそがイスラエルの12部族の父祖となる訳である。
 マタイによる福音書1章2節から17節のイエス・キリストの系図を見ていただきたい。2、3節にレビの名がある。
 
 だから、アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である。<マタイ1:17>
 
 レアはヤコブに愛されなかったが彼女によって生まれたユダの子孫としてダビデが生まれ、イエス・キリストへと続いていくのである。神のなさることは実に時にかなって美しい。【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-09-30 22:00 | 満ちる | Comments(0)

神を知る 2014.9.14

神を知る

 イサクに送り出されて、ヤコブはとある場所に来た。いくら神の恩寵によって新しい旅が始まったと言っても、ヤコブにとっては不安だらけの旅立ちであったに違いない。歩き続けてこのとある場所に着いたとき、日が沈んだ。
 一夜をここで過ごすことにしたヤコブは、兄エサウのことや、これから先のことなど色々な思いを持ったままその場所に横たわったであろう。すると夢を見たのだ。先端が天にまで届いている階段がヤコブの寝ていた場所から伸びていた。さらにその階段では天使が上り下りしていたのだ。
 
 そして見よ、主が傍らにたって言われた(創28:13)
 
 主のお言葉は最後に「この地に連れ帰す」といってくださっている。ヤコブにとっては、父の住む地に帰ってくるのは何時のことになるのか検討もつかないことだろうが、この地に帰ってくるまでの期間がヤコブにとっての訓練の時となるのであろう。
 
 ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」
 そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」<創世記28:16,17>
 
 目が覚めたヤコブは初めて神がここにいることを知ったのだ。「この場所」にいて下さる神、私たち流に言い換えれば、私の救い主イエス様が今ここに私と共にいるんだということを初めて知ったというわけだ。これが回心でなくてなんだろうか。
 旧約に出てくるアブラハム、イサク、ヤコブ、モーセたち、この偉大なる人々の神への近さは一体なんだろう、まったくうらやましい限りだ。
 神への畏れも今の私たちには生ぬるくて想像もつかないくらいだが、旧約時代の人々にとって神は死をももたらす恐ろしい存在でもある。
 ヤコブの旅立ちを見ていくと私たちの信仰の旅立ちをみるようだ。
 救い、新しい出発、回心、献げる(十一献金だけに限らず献身も)決意、そしてこの世での信仰の訓練がはじまり、わたしたちはついに神に帰る。
 この地をベテルと名づけたヤコブは、神が必ず私を守り、共にいて私の全てを祝福し、必要なものをみな満たしてくださる、という確固たる確信が湧き上がって来たのであろう。それが奉げると言う思いに駆り立てられていった理由であろうか。
 ヤコブも初めからこんな信仰があったわけではない。しかしここに来てヤコブは神を知ったのだ。私たちもイエス様というお方をとことん信じきっている自分を見るときがある。それはイエス様を知っているからだ。大いに喜ぼう。【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-09-30 21:00 | 満ちる | Comments(0)

「神の計画」の不思議 2014.9.7

「神の計画」の不思議

ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。
 「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。<ローマ人への手紙11:33、34> 
 
 創世記27章をみると母リベカとヤコブの策略、まんまとだまされた父イサクと、どんなに欲しがっても長子としての祝福を手に入れることの出来なかったヤコブの兄エサウなど、ドキドキするくらいのイサク家のお家騒動を見ることが出来る。
 そしてとにかく祝福と言う言葉が20回も出てくる。それは家族のあり方などを問うというより祝福するための神の絶妙な計画を見せつけてくれているようだ。
 登場人物の一人ひとりを深くみつめていくと、ここに神の深い、わたしたちには不思議としか言いようの無いほどのご計画が浮かび上がってくる。
 リベカはどうして自分の策略をヤコブに命じて実行させたのか。私はリベカがそれほどヤコブを偏愛していたのかと想像するとき、彼女が子供が生まれる前に神からの啓示をいただいていたのだと思い出す。それは「兄は弟に仕えるであろう」<創25:23下>と言うお言葉だ。
 確かにリベカにとって、天幕にすむ穏やかなヤコブは偏愛したくもなったであろう。一方、神の啓示はリベカにとって「確実に神の祝福を受け継がせるものとしてヤコブは自分が守らねばならないものだ」という、母としての使命であったとも思えるのだ
 神様のご計画とその方法は極めがたいと言うより不思議だ。イサクにいたっては、だまされたことによって、かえって継承問題について悩むことも罪責感をもつことも無くなってしまった。神のお言葉に反するという罪を犯すことも無くなった訳だ。それはリベカが神のお言葉をイサクに伝えてない訳はないと思うからだ。
 それにしても長子はエサウだという、争いごとを嫌うまじめ人間のイサクにとってこの継承権についてはかなり悩ましい問題であったのではなかろうか。
 軽々しく長子の特権をヤコブに渡したエサウも、実は祝福がどれほどの物かを分かっていたに違いない。祝福をもらえなかったエサウは「声を上げて泣いた」と書いてある。
 ヤコブは貪欲であった。神の祝福をなんとしても自分の物とするために、母の策略を言われるままに実行したのだ。その結果ヤコブは祝福を得たが両親や兄のもとから離れ、嫁探しの旅に出なければならなくなる。然しその旅に出てヤコブはいつも共にいて下さる自分の主を知るのである。兄から逃げ出すと言うこともあったのだろうが、ヤコブは新たに神の契約を受け継ぐものとして、出発しなければならなかったのであろう。
 私たちはヤコブのように神のご計画の中で個人的に主イエス様に出会うことができる。何が起こっても、何処にいても、いつも主のご計画のなかに生かされていることを感謝したい。【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-09-11 09:41 | 満ちる | Comments(0)