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神の忍耐と契約(ノアの箱舟) 2014.6.29

神の忍耐と契約(ノアの箱舟)
 
 これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造られていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである。その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。<ペテロの第一の手紙3:20>
  
 今まさに「ノアの箱舟」の映画が上映されています。
 しかし、聖書の意図とは少し違うものを感じます。惑わされないようにしましょう。 
 
 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」<創世記6:9>
 
 ノアとその家族だけは神様に認められ、箱舟によりすくわれたのです。神様は冒頭に書いた<第一ペテロ3:20>によると人々の中に霊を留まらせ人々を生かす期限を120年としたようです。これは箱舟ができるまでの神様の忍耐の期間でもありました。
 この期間は神様にとっても地球上の被造物にとっても、ハラハラどきどきの期間だったでしょうし、ほんの1パーセントでも神に帰ってくる人々を期待し待ったことでしょう。洪水の水をくぐって救われた人間は、ノアとその家族のみでした。
 
 今も昔も神様は私たちが神の側に帰ってくることを、忍耐して待ち続けて下さっています。イエス・キリストのもとに来るより他に救いは無いのです。
 被造物は、自分たちも二度と人間と共に滅びることがないように、今も呻きつつ人間の救いを待っています。
 神様の後悔と心の痛みは人の中にある悪に対してでした。ご自分が創られた人間は、それはそれは素晴らしいものだったのです。
 今もサタンは私たちの心の中に砦を作ろうと必死です。サタンに隙を与えないようにいつも聖霊様の満たしの中に入れていただきましょう。そしていつも、わたしたちの心の思いと口から出る言葉が神様のみ前で喜ばれるようにいつも祈り、賛美していることです。
 
 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。<創世記9:13>
 
 今の私たちと神様の契約のしるしは聖霊様による証印です。雲の中の虹のように私たちの魂の只中に聖霊様の美しい虹を見ることが出来るでしょう。【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-06-30 12:00 | 満ちる | Comments(0)

聖霊の証印 2014.6.22

聖霊の証印 
 
 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。<エペソ人への手紙1:13、14>
 
 生命保険や自動車保険にまったく加入していない、また加入したことが一度もないと言う方はほとんどいないと思います。保険制度を考え出した人は初めはみんながいざという時に困らないようにと、相互扶助の精神で始めたのだと思いますが、いまの人々の感情を垣間見ると、まるで保険に加入していれば、病気をしないような、また事故を起こさない、事故にあわないような錯覚にとらわれているところがあります。また、「病気をしても大丈夫」というのは経済的なことであって、病気が治るわけでも命の保障があるわけでもないのです。
 だからといって「いらないものだ」と信仰保険一本で生きた父(釘宮義人師)のような生き方は、通常の人にはなかなか出来ないことです。しかし、この信仰一本の生き方こそ「病も災いも、命でさえも大丈夫」と言える聖霊様の保障によって生きることなのです。
 私たちがいただいている聖霊様の保証、つまりわたしたちの魂の中に押されている聖霊様の印は私たちの永遠の命を保証するものです。
 創世記をみますとアダムとエバの初めての子供カイン(わたしは得たという意味)は、母エバの希望を打ち砕いてしまうような神様に背を向けた子供に育ったように思えます。次に生まれた子供にエバはアベル(空虚、気息)という名前をつけとことからも何となく伝わってきます。カインは正しくない心で、神様にささげものをしました。神様は心の中を見られます。カインのささげものは神様に受け入れられませんでした。
 このあと人類初の殺人が起こってしまいます。アベルを殺したカインに神様は「カインに出会うものが誰も彼を撃つことが無いように」と、しるしをつけられました。このあとカインは主の前を去ったと聖書は書いています。
 罪を犯してもなお、生きる道を与えて下さる主の愛は本当に広く、深く、高いものです。
 しかし人は神の愛を離れ、まるで己の力で生きているように錯覚してしまいがちです。そしてカインの子孫レメクはカインにつけられたしるし以上の力を私は持っていると自負し高らかに歌います(創世記4:23)。しかしこれは神様がくださった力によるものではありません。
 このような愚かな人間で地上は溢れかえるようになります。万能の神であり全てを創造しそれに満足した神様が、人間を造ったことを後悔し、心を痛めると言うことにまで発展します。それでもなお神様は、私たちに永遠の命を与えて下さるための御計画を今も私たちのために続行してくださっています。カインが知らないしるし、すなわち聖霊様による証印を私たちに押すためにです。【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-06-29 12:00 | 満ちる | Comments(0)

神の偉大な力 2014.6.15

神の偉大な力
 
 最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。<エペソ6:10>
 
 弱い私が強くなる方法はひとつしかありません。
 それは主にあってです。イエス様が共にいて下さることで、わたしたちは強くなれます。パウロは本当の強さを知っていました。だからこそ私たちに「主にあって強くなれ」といえるのです。本当に強いということは自分の力の強さのことではありません。
 主にあって強い時というのはイエス様の偉大な力が、私たちのうちで充分に発揮できる状態にある時です。私の心がイエス様に対して砕けた素直なものであるということがこの状態なのです。イエス様が私のうちにあって充分にそのお力を満たして下さると、この力は外に向かって大きな効力を発し、私たちの内も、外も強くなれるのです。
 主の力が私たちの中に働いて下さるのは、私の信仰が素晴らしいからでもなく、私に強い信念があるからでもありません。ただ、神様の御前で自分の無力さをはっきりと知る時に働いて下さいます。それを教えて下さるために、主は色々な手段をもって私たちに迫ってこられます。それは主ご自身の偉大な力の働きのためにほかなりません。
 
 人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。<詩篇8:4>
 
 私たちを愛してやまないイエス様のお心が本当の力をわたしたちに与えて下さいます。「もうだめだ」というときに、サタンも確かに隙を狙ってきます。しかし、それ以上に「もうだめだ」というときにこそ、主の御手が働いて下さるのだと私は信じています。
 しかし、いつも「もうだめだ」では大変です。この主の力をまるで自分の所有物のように主の十字架の血潮で被っていただきしっかり逃さず、神の武具で身を固め、常に心の中を主に明け渡す生き方をしていきたいと願っています。
 イエス様は私たちにご自分と同じような働き、いやそれ以上の業をするんだと、お言葉を残されました。それは、イエス様のわたしたちに対するお約束でもあり、父なる神様へのとりなしでもあります。イエス様が私たちに抱いている愛と希望が響いてくるようです。
 
 よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。<ヨハネによる福音書14:12>
 
 主の偉大なお力によって、強くなろう!いや私たちはもうすでに強いのです。みことばは既に成就しています。私は主にあって、その偉大な力によって強いのです。【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-06-24 17:38 | 満ちる | Comments(0)

まばゆい体験 2014.6.8

まばゆい体験
 
 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさま
してうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。<エペソ人へ
の手紙6:18>

 
 祈りは、祈りによってでしか分らない。そこで、祈ることを、この集会の今
後しばらくの目標にしたい。この集会を「祈りの教会」としよう。私ども一人
一人「祈りの人」になろう。私どもの生活を、「祈りの生活」としよう。【「日岡
だより」第646号~釘宮義人より抜粋】
 
 祈祷会や小集会で祈ってくださいと言われると凄く緊張しますね。「なんと祈
っていいのかわからない」とよく聞きます。人前で祈るのが難しいとしても、
一人のときはどうでしょう。誰かが聞いている訳ではないのになかなか祈りが
続きません。人前での公式的な祈りは別として、まず、どこででも祈る時にち
ょっと頑張ってみることも必要かと思います。
 私たちの頭の中にある思いを祈りとして、言葉を使って祈るとします。兎に
角思い出すことの全てを注ぎだしてみます。なるべく声を出して祈ります。意
識がはっきりするからです。思い出そうとせず、また、言いたくないことばか
り思い出してしまうと、祈りはストップしてしまいます。一人で祈っていても
誰も聞いていないとわかっているのに、祈れません。これは、わたしたちの祈
りを確かに神様が聞いているということを基本的に知っているため起こること
でではないかと思います。ここで、心の中にあるものを注ぎだすということを
してみてください。とにかく注ぎだして祈ることです。祈ることがなくなって
もまだまだ、賛美、感謝と祈りは終わることがないのです。いつのまにか、主
と二人で向き合っているのがわかります。
 もう一つが異言の祈りです。
 異言で祈れば一日中だって祈れるのです。といっても、わたしも物理的に一
日中祈り続けた事はありませんが、ガジマ牧師は朝早くから起きて夜の集会の
ために「今日は異言で10時間祈っています」といわれていました。「主婦は台
所で、学生は学業の合間に、仕事を持っている人たちは、通勤中、また何かを
しながらでも、祈れる。みんな、何時でも何処でも異言でならば、祈り続けら
れる」というのです。
 とくに、癒しと解放(悪しき者への勝利)のためには、「イエス様にいただい
ている権威の行使のために異言で祈りなさい、祈って祈って、力(権威)をナ
イフのように研ぎ澄ませていきます。祈れば祈っただけの力を研ぎ澄ますこと
が出来ます」とおっしゃっていました。「イエス様の権威は信じたときにすでに
いただいています。権威はくださいと求めるものではありません。すでに信じ
たときに頂いていているものです。」とも言われました。この異言の祈りは私た
ちのうちに聖霊様
 が働いて下さっている証しです。
 祈りによる勝利は、どんなに小さなことでもわたしにとっては本当にすばら
しい体験として魂に刻まれていきます。これこそわたしたちが聖霊様によって
体験していきたいことです。とてもまばゆいほど、素敵な体験です。【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-06-18 16:46 | 満ちる | Comments(0)

祈ってください 2014.6.1

祈ってください
 
 わたしたちのために、祈ってほしい。わたしたちは明らかな良心を持っていると信じており、何事についても、正しく行動しようと願っている。<ヘブル人への手13:18>
 
 私たちの願いや、決心は自分自身の生き方を決めていきます。わたしが思うとおりの私を自分でつくりあげていくのです。イエス様を信じて生きようと思った時、私たちの思いの中に今までとは違う、イエス様のみ言葉に従って生きてみようという思いや願いが生まれてきます。わたしたちは自分の願っている以上の人にはなれないようです。出来る限り自分の願いを高くするのがいいですね。そしてその願いがいつもイエス様のように祈り喜び、父なる神様の御心を知りたいというようでありたいのです。
 イエス様に従いたいと言う願いや思いは、イエス様を知らない人にはつまらないものかもしれません。それはこの世の快楽、権勢、能力を満足させてくれるものではないからです。この世のどんな素晴らしい知恵、富、知識をもったとしても、それは神の持つ愚かさにも到達できるものではありません。
 
 すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある。<コリント人への手紙1:19>
 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。<コリント人への手紙1:25>

 
 確かに私たちが世(日々の生活、伝道)に出て行くとき、愚かな十字架の言葉とイエス・キリストの御名がこの世の何よりもまして力があり、弱い私を強くしてくれるたった一つの武器となることを知らしめてくださいます。このような神様の後ろ盾があってこそ世に出て戦っていけます。ましてや教会の兄弟姉妹の愛に支えられれば言うことなしです。
 
 「兄弟愛を続けなさい」<ヘブル書13:1>
 
 愛は続けられなければ終わってしまいます。教会の中でいつも主にあって兄弟愛を持ち続けるということはとても素晴らしいことですが、イエス様が共にいてくださらなければ教会内といえども続ける事はむずかしいものです。「教会はイエス様を信じる人々の集まりだから愛に溢れているのではないの」と言う疑問がおこって来そうですが、実際そうあるべきです、主の教会ですから。
 私たちは教会の兄弟姉妹のためいつも互いに祈り執り成していきましょう。これこそ兄弟愛を続ける秘訣です。牧師であれ、信徒であれ、障害者であれ、健常者であれ、イエス様の時代の使徒であれ、婦人たちであれ、互いに「祈ってください」と言い合える魂の交わりを持つことは、教会内外で主の愛を証して生きることにつながります。【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-06-06 15:16 | 満ちる | Comments(0)