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私の天幕を広げよう 2014.1.26

私の天幕を広げよう
 
 「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ。あなたは右に左にひろがり、あなたの子孫はもろもろの国を獲、荒れすたれた町々をも住民で満たすからだ。<イザヤ書54:2、3>
 
 「さあ、新しい領域に入ろう!そこで主の成すことを見よう」
 わたしたちの心はヨシュアのように奮い立たせられます。神様の約束の地を目の前にして、一歩踏み入れたのですから。私の住むところ、私の心のあるところ、私の足の踏むところ、その全てを天幕の場所としていただいているのです。
 新しい地に新しい天幕を張る準備をしなくてはなりません。今の私の住んでいる天幕は一体どんなでしょう。見る暇もないくらい走ってきたのでしょうか、傷んでいるのも目に入らないくらいだったでしょうか。
 しかしここにきて主は、しみも傷も、汚れもない真新しい天幕をくださいます。イエス様の愛が、私たちの生活の場のすべてを聖め、愛で被ってくださいます。
 こんな凄い天幕ですから、これもまた凄い綱を用意しなくてはなりません。惜しみなく広げられる綱です。長い長いどこまでも伸ばせる神様の手によって広がっていきます。これはイエス様が私たちに下さる「信仰」のように思えます。
 私たちの信仰がますます強められるために、神様は、ドーンと強い動かされることのない「杭」をど真ん中に打ちこんでくださいます。これこそ私たちの信仰の中心である「キリストの福音」そのものだといえます。
 神の教会である天幕は、人々で溢れ、神を誉め称え常に新しい天幕を張り続け、日々、新しくされ続けているような、真に忙しい、活動的な、前進して行く所です。
 自分の古くなった天幕は捨てましょう。新しくされたわたしに相応しい天幕を張り広げましょう。新しい生き方をする時、必要な全てが与えられます。天幕、綱、杭、そしてなにより場所です。
 わたしたちが、主の祝福をいただく、主の権威を持ってこの世に立つ、そのような生き方を勝利していくためには、それにふさわしい生き方をしなくてはなりません。と言われると、ちょっと「できるかなあ」「やはり窮屈だな」とか思われるかもしれませんが、まったく心配ありません。だって、簡単なんです。
 イエス様を本当に愛する。ただそれだけです。
 そうすると、こんなことが大好きになってくるんです。
 ◎毎日イエス様と話しをする(祈る)
 ◎毎日イエス様のお話を聞く(聖書を読む)
 ◎毎日誰かにイエス様の話しをする(証人として生きる)
 いかがでしょうか?【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-01-29 16:22 | 満ちる | Comments(0)

オンリーワン 2014.1.19

オンリーワン

 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。 <使徒行伝 2:2~4>
 
 「一人ひとりがナンバーワンになろうとして争うのではなく全員が、それぞれオンリーワンであることを自己確認できる人になる」【釘宮義人師礼拝メッセージより】
 私たちが、新しい領域に入ろうとする時、まず聖霊様の押し出してくださる力が必要です。必要と言うよりは、それがなければ、とても一歩前へ進む勇気が持てません。とかく人は、新しいことに対して臆病なものです。
 現状をとにかく維持していこう、問題をおこさないようにしよう、という風に思うし、波風を立てないことが幸せのように、また、平和のように見えるからです。しかし、そのうわべだけの平和の底のほうで、圧縮され続けている不満やストレスが、今にも張り裂けそうに時をうかがっているのです。決して我慢は長続きしません。 
 よく、「十把一絡げ」といいますがそんなものではない、英語で言う「One of them」でもないのです。私たち一人ひとりに、「あなたは私にとってオンリーワンの大切な宝だ」といってくださるイエス様によらなければ、この偽善の平和を打ち砕く事はできません。
 聖霊様が私たち一人ひとりの上に留まってくださる時、私たちへの聖霊様の力は一人ひとりに100パーセント、イエス様の愛は一人ひとりに100パーセントなのです。隣の人と半分こではなく、みな100パーセントですね。とても人間業では出来ることではありません。
 このことは、イエス様が復活しただけではなく「天に昇り神の右に座した」ことによって可能となった私たちへの最高の贈り物です。2000年前の肉のままのイエス様では成し得ないことです。今、イエス様の権威は、信じる私たちに託されています。
 イエス・キリストの御名によって、権威を持って生きるとき、また、主の愛を100パーセントいただいて進むとき、きっと私たちは、新しい地を受け継ぐに相応しい力を持って、一歩踏み出すことが出来ると思います。
 聖霊が降ったあのペンテコステの日の使徒たちは、自分が主のオンリーワンの存在であるということに気づかされ、かつて誰が一番かと競った弟子たちはもう居ません。
 弟子たちが、「今まで見たことも、聞いたこともない」体験をして、聖霊様に動かされたように、荒野で御霊に引きまわされて試練を勝ち取っていったイエス様のように、わたしたちも聖霊様に満たされ押し出されて、オンリーワンの喜びを伝えていきましょう。【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-01-24 22:48 | 満ちる | Comments(0)

求める 2014.1.12

求める 
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 わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかた   <エペソ人への手紙3:20より>
 
 私たちの主は、「その思いや求めに応じて、何かをしてくださる」というのではないのですね。びっくりすることに、主はわたしたちの求め、又思うところのすべてを把握しておられる、知っていてくださるのです。そして、それをはるかに越えて叶えてくださることの出来るお方であるというのです。
 この偉大なお方からの祝福をいただけるのですから、とにかく「祈り、求める」「ただひたすら求めつづける」ということが信仰の持続のキーワードでしょうか。
 現在の自分の状況がどんなに絶望的なものであっても、「私たちは祈りさえすればよい」
 と言うのはあのブルース・ウイルキンソン師です。
  
 「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。<マタイによる福音書4:9,10>
 
 私たちの魂が荒野に居るような時、サタンは私たちを巧妙にそそのかします。まるで、世界の幸福を独り占めさせてくれるような、甘い甘い囁きです。
 しかし私たちは、主なる私の神に仕え求めて、祈らねばなりません。「主よ、あなたがわたしに求めておられることをなさってください」です。このように祈っていくとわたしの移すべき山を、目の前にみることになります。
 見かけはまるでサタンのほうが、幸せをくれるようにみえます。
 しかし、この惑わすものについていくと永遠の滅びです。狭く見える、険しそうに見えるが、主への道は永遠の生命です。たとえ、大きな山が出現したとしても、おそれることはありません。
 山を移すほどの大きな信仰はイエス様の信仰です。山を移す事は「主が私に求めておられる」ことですから、わたしたちはたとえそれが困難に見えても、イエス様をゾッコン信じぬいてスコップで土を放り投げるようにイエス様に投げつけましょう。
 必ず山は移ると信じて。
 
 大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となる。 <ゼカリヤ書 4章 7節4:7>
                         【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-01-24 22:44 | 満ちる | Comments(0)

新年おめでとうございます! 2014.1.5

新年おめでとうございます!
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 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。 <コリント人への第二の手紙5:17>
 
 新しい年を迎え、心からお喜びのご挨拶を申し上げます。
 昨年につづきこの「満ちる」を続けさせていただけますことを感謝いたします、とともに今年も主に導かれ、ただ神の霊によって、道が開かれますよう切に願っています。初めは不定期で出そうと思っていた「満ちる」でしたが、とうとう一度も休まず、書かせていただきました。我ながら褒めてやりたい(大笑)ほどです。
 自分の本当の、心の弱さ、貧しさを知れば知るほど、神様の憐みと大きな深い愛を見せられます。そして、主の愛を見せ付けられると、ますます、自分の小ささがわかります。小さな自分が、必死で一歩踏み出した時、主はその一歩の前に突然、一つの道を拓いてくださいます。
 人の考えもつかない神様のご計画は、私には驚くほどの緻密な計算しつくされた、逆らえないほどの物に見えるのです。私たちの人生そのものを鷲掴みにして、死の支配から贖い出す、その力強い神様の御手は、一度つかまえたら決して話しません。私たちは安心して身をゆだねていると命の中に移されています。
 私自身、何度も何度も、「イエス様、イエス様」と祈りながら、「安心」のなかにすっぽり包まれるような感じで、毎日を送ってきました。「身を委ねる」を具体的には心臓の動機を収めるように、血圧を下げるように、呼吸を落ち着かせるように、魂にむかって、「主よ」、「平安です」、「安心です」、「任せます」、「信じきっています」と告白していくのです。イエス様が、いま私の手をとってくださり、相槌をうってくださっているようです。
 結果は、大失敗のように見えても、そうではありません。また、目を見張るような素晴らしい結果を出してくださるのも神様の御業です。どちらも感謝して受け取れます。今年は神様がどんなことをしてくださるのか、楽しみです。期待しています。
 冒頭のみことばを今年の指標聖句にあげました。
 祈りも、告白も、イエス様を信じて行けるのも、私たちはイエス・キリストによって新しく造られたものであるからです。私たちの魂は、すでに新しくされています。古いものはもう残ってないはずなのですが、毎日少しずつポケットからだしているようです。出てくるたびに、投げ捨て、毎日新しい人を生きようではありませんか。
 罪にまみれた人生、悲しみに暮れた人生、苦しさに打ちのめされた人生、これらはもう存在しないのです。新しく造り変えられたわたしたちに相応しいものに、過去も、未来も、今も、すでに変えられています。
 新しい一歩を共に踏み出し、共に支えあう神の家族として今年も宜しくお願いいたします。【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-01-08 15:26 | 満ちる | Comments(0)