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No.276 その恵みはとこしえまで 2018.2.11

その恵みはとこしえまで

主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。<詩篇136:1>

 神様の恩寵は永遠に続きます。
 どのように苦しい時も、なかなか抜け出ることのできない試練の中にあっても、神様の恵みと慈しみは変わることがありません。

ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。<Ⅱローマ12:9>

 それどころか、その恵みはあなたに対して充分であり、完全です。

 私は不十分で、弱いように見えます。しかし私たちが、何もできないような弱い時、自分の弱さを認めて主により頼むならば、神の全能の力が、完全に私のうちに働き、神の絶対主権によって、すべてのことが成っていきます。私たちは神の権威に頼れば良いのです。

それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。<マタイ5:48>

 イエス様のお言葉は、必ず成就します。
 パウロが走る行程を主に信頼することによって走り抜けたように、自分の目の前に用意された主の道も、走れなくとも確実に忠実に歩んでいきたいものです。
 主のお言葉を信じて完全に向かって歩み続けるのです。

 先日のある先生のメッセージの中で、「エペソがいかに大きな都市であったか」ということを、写真を交えて聞かせていただきました。エペソはパウロが3年もいたところです。

 アルテミス神殿もあることから、ローマの小アジアにおける主要都市であり、また、宗教の中心にある都市でもありました。また、大きな「ツラノの講堂」という劇場のような施設もありました。
 エペソのような当時の大都会で、パウロの宣教に対する心は、さぞかし燃えたでありましょう。

 その後も旅は続きました。第3回伝道旅行を終え、パウロはさらなるローマに向けての神の道を走ることになります。
 しかしそれは、鎖で繋がれての大変な道のりでした。
 パウロは、弟子たちや預言者からどのように「行かないでください」と、止められても、歩みを止めることはありません。ついにエルサレムで殺されかかるという事態に会います。
  
 このような過酷なパウロの旅路は、私たちにはとてもついていけないほどの難しさと、それに伴う試練があります。
 しかし神様の導きは、確実で、真実です。

 確かに試練があります。
 辛い時があります。
 嫌な場所があります。

 しかしそこに働く神の全能の力と恵みは、私たちにとって、確かなものです。幽霊や、お化け、また人々の儲け話のように騙しごとではありません。

 「ちょっと、おこがましいことを言うがパウロと私の信仰は同じだ。」と、若いころから言っていた父(釘宮義人師)の声が聞こえてくるようですが、本当に、今も、2000年前の昔も、イエス・キリストの信仰は変わらないのです。

 パウロの中で、父の心の中で、パウロの言葉を借りていうならば最後にこの小さな私たちの中でさえ生きて働いていてくださる「イエス・キリストの信仰」は、「昔も今もとこしえに変わることがない」のです。
 
 主に感謝します。
 主は恵み深いお方です。
 主は永遠に変わることのない完全なお方です。(た)
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by mitiru-takae | 2018-02-16 16:10 | 満ちる | Comments(0)

No.275 敵と味方 2018.2.4

敵と味方

もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。<ローマ8:31>

 パウロは、第3回目の伝道旅行を終りエルサレムに着き、ヤコブや教会の長老たちに会いました。そして、神が自分の働きを通して、異邦人の地でなさってくれたことなどを説明しました。
 皆はこれを聞いて神をほめたたえました。

 ところが、パウロの宣教の業を誤解したり、良く思っていない、アジヤら来たユダヤ人たちが、「パウロをやっつけろ」と群衆を扇動して騒ぎだしました。
 神殿で始まった騒ぎは、エルサレム全体を混乱状態にまで陥らせることになり、パウロは皆に捕えられ殺されそうになりました。

 この時、ローマの千卒長が、騒ぎを静めるためにパウロをとらえに来ました。パウロは二重の鎖につながれ、まさにアガポの預言どおりとなりました。

 「泣きっ面に蜂」という言葉がありますが、エルサレム全体がパウロに敵意を持っているとき、なおユダヤを支配していたローマの兵士に捕まってしまうなんて、まさに「泣きっ面に蜂」の状態のようです。

 しかし、主は、パウロを敵の手に渡すことによって、ご自身のパウロに対するご計画を進めます。そしてそれはまさに成就するのです。
 パウロをローマへと誘うのは神の御心でした。

その夜、主がパウロに臨んで言われた、「しっかりせよ。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない」。<使徒23:11>  

 さて、そこで私たちの、またパウロの本当の敵はだれでしょうか。
 エルサレムにいる人々、律法学者たち、はたまたローマの兵士、総督、ユダヤの祭司長、ローマの皇帝でしょうか。

 イエス様の時もそうでした。弟子のユダが裏切り、パリサイ人、他の律法学者たち、祭司や、祭司長など、エルサレム中の人々に「殺せ」「十字架につけよ」と言われました。
 
 しかしイエス様は十字架の上でこのように言いました。
 「彼らをお許しください。何をしているかわかってないのです。」

わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。<マタイ6:12>

 私たちに罪を犯すものを、主はゆるしなさいと言います。私たちはイエス様の主の祈りにあるように、ゆるすことができます。なぜなら、彼らは私たちに向かってくる本当の敵ではないからです。

 しかし、ゆるすことが絶対にできない者がいます。
 私たちの本当の敵、サタン、その手下どもです。

 悪しきものにとらわれることなく、私たちを悪しき者の手から救い出し、完全に主の支配の中に入れていただくことが、私たちの勝利です。
 この勝利は、パウロにだって自分の力では得られません。
 まことの勝利者はイエス・キリストです。

 私たちの敵はだれなのか。
 私たちの味方は誰なのか。
 窮地のときにも、知恵を与えてくださり、試練と同時に逃れる道をも用意してくださるイエス様を、私の主、わたしの従うべき王の王として、信じていきましょう。

見よ、あなたにむかって怒る者はみな、はじて、あわてふためき、あなたと争う者は滅びて無に帰する。<イザヤ41:11>
 
 私たちは、自分の支持する王が、いかに素晴らしいお方であるかを知っているべきです。なぜならこのお方こそ全能の神、私の救い主だからです。
 このおかたが私たちの真の味方なのです。(た)
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by mitiru-takae | 2018-02-14 14:49 | 満ちる | Comments(0)

No.274 主のみこころのままに(新改訳) 2018.1.28

 主のみこころのままに(新改訳)

わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しているのだ」。
こうして、パウロが勧告を聞きいれてくれないので、わたしたちは「主のみこころが行われますように」と言っただけで、それ以上、何も言わなかった。<使途21:13、14>

 ここだけを読むと、なんだかパウロが意固地のような感じがしないわけでもありませんね。
 しかし、キリストの福音を伝えたい一心のパウロにとっては、宣教のため前に進む以外に自分の命をささげることのできるところはないのです。
 
わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。<ピリピ1:21>
わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。<ローマ14:8>

 ここまで言えるパウロもすごいですが、このパウロに従っていた弟子たちの必死の声も、すさまじかっただろうなと推測できます。私たちも、この時の弟子たちであったならば、やはり、「パウロ先生には生きてほしい」と思ったに違いないのです。そして自分たちの安全も考えたに違いありません。

 ところがどうにもこうにも、パウロの心を変えることはできないわけです。イエス様の道に一途ということはわかりますが、自分の命さえ惜しまない姿は強靭な意志を持っているというより「心がイエス様に燃えている!」そんな感じです。

 父(故釘宮義人牧師)が戦後大分駅の前で戦災孤児をお世話していたころの、当時福祉課長であった元大分県知事立木勝氏の日記が娘さんの立木稠子氏(前大分芸術館官長)の手元にありました。それを「山河在り」という書籍として出版したものを、古くからの父の弟子である姉妹からいただきました。
 それを見ると、パウロのごとき父の「誰の前でも自分の信念を曲げない」気質がみてとれる文言がありました。
 多分、当時の立木福祉課長も釘宮青年を見て「こいつはちょっと違うぞ!」と、一線を画したにちがいないとさえ感じました(笑)。
 
 「釘宮君が来て「わかば園」に送った子供たちのことを案じて色々と意見を具申する。……仝君にしてみれば自分の信念に反する事態は見ておれず……少し我執の点も……よく説き聞かせてそのままわかば園に向かう。【立木勝戦後日記 「山河在り」より抜粋】

 なるほど、心が一直線に向かって燃えているときは、周りの人たちからは我執に見えるものだと思う。性格といえばそうかもしれない。若い純粋な熱心さは、時として周りの人たちをがっかりも、あきれさせたりもします。

 パウロに対して弟子たちは口々に身を案じての進言をしましたが、最後には自分たちの命をも覚悟させられたのかもしれませんし、これ以上パウロを説き伏せる言葉も見つけられず「みこころのままに」と聖霊によって言わせられたのでしょうか、あきらめたのでしょうか(笑)。 
 さあ、私たちは主のために周りの心配してくださる方々の前で果たして、主のためには死さえも辞さないと言えるのでしょうか。はっきり言いますが、今の日本のような平和な国で、平和な時にそんなことはなかなか言えませんね。

 しかし、もし弱い私たちにも、「いざという時」が来たならば、心から主に「みこころのままに」と言えると、あえて断言できるということです。いざという時が、今なのか、今日なのか、明日なのか、はたまた10年後なのかはわかりませんが。
 パウロはキリストの福音は単なる学説ではなく「神の力」だと言っています。

「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である<ローマ1:16>」

 神の力は私たちのうちに働いて、私を強め、頑固なまでに主の道を歩ませることができるものです。
 その時が来たならば、何の心配の必要もなく、私たちは皆こぞって「主のために生き、主のために死ぬ」と言えるのです。(た) 
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by mitiru-takae | 2018-01-31 23:02 | 満ちる | Comments(0)

No.273 素晴らしい主のご褒美を! 2018.1.21

素晴らしい主のご褒美を!
(友永英樹兄弟を天に送る)

「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。<黙示録22:12>

 元旦礼拝が始まろうとするその時、私たちの教会の友永英樹兄弟が天に召されたことを知らされました。(後になって調べましたら病院で亡くなったそうです。)

 そういえば12月17日から礼拝に出席していませんでしたし、毎年欠かさないクリスマス礼拝にも来ていませんでした。ですが、どうしたんだろうくらいにしか思っていませんでした。

 兄弟は、腎臓の病気を患い、かなり重症の皮膚病を患い、「心も体も主のくびきがなければ一歩も前に進めない」という状況でした。

 その中で、ぜいたくには暮らせないが、好きな映画やDVDを鑑賞し、人の悪口は決して言わない、いつもニコニコして、何キロかある自宅アパートから歩いて、毎週礼拝に来るという、とても謙虚な方でした。

 どんなに貧しくても、私たちに何かを求めたりしたこともないですし、大好きな趣味を手放してしまうということもないほど、心に少しの余裕をもつことのできる方だったのかなといつも感じていました。
それどころか、私自身、いろいろな質問や、メッセージの感想など、時々ぽつっと言ってくれたりして、とても信仰において信頼深い方であったと思っています。

 そんな兄弟でしたから、笑顔の裏に、寂しさと、死への不安があったとしても、私たちには、わからなかったし、あえて病状を聞くのも、兄弟に対して悪いような気さえしていたのが事実です。

 ときどき、礼拝のメッセージの中で私が「知りたい、気になっている」ことなどに関連したDVDなどを自分が持っていると、それを貸してくれていました。
 いま最後に貸してくれていた2本のDVDが手元にありますが、友永兄弟の遺品となってしまいました。

 そんな兄弟に12月お誕生メッセージのはがきを送っていましたが、その返事が、メールできていました。

 まったく同じメールが、12月5日、6日の二日にわたって二度入ってきました。今になってそのメールを読み直すと、私はもういたたまれなくなりました。兄弟の心からの願いが、もう叶えられたことに、おどろき、涙が止まりませんでした。
 そのメールをここに紹介します。

 ハガキありがとうございました!
 体はピカピカにならなくても良いです、その代わり魂ピカピカに、イエス様にしてもらいたいです。
 大患難の前に、肉体を離れて、天の神殿の一番後ろで良いので、神様の神殿に行きたいです。
 その時は、教会の皆さんと握手するのが夢です。
 千年王国もイエス様も天の神殿で見たいです(笑の絵文字)

 友永兄弟は、病気によって掌がべたべたして、みんなと握手するのが嫌だったようです。献金の時、私と握手するのも嫌で、なかなか礼拝にも来れなかった時期がありました。しかし、それもある程度乗り越えて、私にも握手してくれるようになっていたのです。

 私からの兄弟への返事はこうでした。

 【そうですね!私たちは天国で再び会えますね!ハレルヤ!共に新しいエルサレムを見ましょう!永遠の地上のエデンの園にすみましょう!たのしみです!】

 前夜式も告別式も出来ませんでしたが、今、友永兄弟が天の神殿で、イエス様と共にいる姿が、目に見えるようです。この地上では、苦しいことの多かったであろう兄弟ですが、主が迎えに来てくださって、今最高に幸せで、私たちを待っていてくれるんだと思います。

 イエス様のみ手に友永英樹兄弟の魂をお委ねして、兄弟への地上での告別の辞といたします。共に御国でまた会い、握手しましょう。(た) 
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by mitiru-takae | 2018-01-31 23:01 | 満ちる | Comments(0)

No.272 地方版新春大分ギャザリング/「備える!」 2018.1.14

地方版 新春大分ギャザリング

 2018年1月8日(月・祝日)大分カルバリチャーチを会場として、今年初めての大分ローカルギャザリングが開催されました。
 地方で行われる小規模なローカルギャザリング(日本)は昨年、名古屋少年自然の家にてファミリーギャザリングとして開催され、一応終わりました。

 日本で始まったローカルギャザリングの最初の開催地は確か札幌でした。
 次に2016年9月に大分で「大分ローカルギャザリング」が開かれました。この時の大分でのギャザリングは今でも当時参加した方々の間で語り草となっているほど、すばらしいものでした。それ以来、大分では、「大分ブレッシング」を「地方版大分ギャザリング」と名称を変え、3~5教会の先生たち、教会のメンバーたちで続けています。
 次回からはセッションを4つに分けようという提案がなされています。参加教会の先生方、メンバーが増えているからです。聖霊様のお導きによる素晴らしい聖会が行われることを毎回楽しみにしていますが、これからはもっと楽しみです。どうか大分の地から、日本中に広がっていきますように!

 昨年12月にはエジプトでグローバルギャザリングがひらかれ、FGイエス・キリスト別府教会の永野先生が参加され、聖会や、現地のコプト正教の洞窟教会などの写真を見せてくださり、証しをしてくださいました。
 洞窟と言ってもものすごい広さで、びっくりです。聖会中には会場の上に虹のようなドーム状の大きな雲が出ていまして、写真を見て、これまたびっくりでした。
 また、昨年11月キリストの福音大分教会でのギャザリングで集まった、「皆様の献金600ドルを、無事エジプトギャザリングへ届けることができました」と、報告があり、私たちも聖会に直接参加は出来なかったけれども、エジプトへ祈りと思いを届けられたようでこれについても心から感謝しました。

 今年2月(だったと思います)には韓国済州島でギャザリングが開かれます。
 たとえ、済州島へ直接行けなくとも、皆で心を一つにし、イエス・キリストネットワークで済州島のギャザリングとつながりましょう。
 今年の大分ギャザリングの次回の予定日時は「7月16日(月・祝)」です。お祈りください。(た)

  
「備える!」

 今回のギャザリングのテーマは「備える!」でしたが、各先生方の聖霊様のお導きによる、それぞれ自教会の今年の指標聖句を通しての素晴らしいメッセージを聞くことができました。

生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。
<ガラテヤ2:20>

 その中でも、FGイエス・キリスト別府教会の永野先生のお話が心に残りました。「自分はキングジェームス訳を見るのですが、それは訳が違うというより、もともとの訳すべき写本が違うのです。今奥山実先生が進めている現改訳も、キングジェームス訳で使っているのと同じ写本を使っているのです。」

 そうだそうだと言わんばかりに聞いていたのですが、「それによると、神の御子を信じる信仰、これは私たちの信仰ですね。しかし違うのです。ここは「神の子の信仰」と訳されているのです。そうです。私たちの信仰ではなく、イエス様自身の信仰なのです。」・・・と。

 私は、なんだかとても嬉しくなりました。
 父が昔から言っていた、「イエス・キリストを信じる信仰ではない。イエス・キリスト信仰です」や、「『キリスト福音大分教会』です。がないといけません。」などの言葉を本当に誇らしく思いました。

 生けるイエス・キリストの信仰が、イキイキと私の魂の中で、生き動き存在しているのです。
 イエス様が私たちのうちに生きている事こそ、すべてのことへの準備につながるのではないでしょうか。アーメン! (た) 
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by mitiru-takae | 2018-01-31 23:00 | 満ちる | Comments(0)

No.271 <主の年2018年>新年を感謝します 2018.1.7

<主の年2018年>新年を感謝します

主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。<詩篇37:4>

 あけましておめでとうございます。
 父が天に召されて6回目のお正月を迎えます。

 無謀にも「父がやっていたことはすべてやりたい」と思い、まるで自分の首を絞めるようにして(笑)、慣例になっていたすべての集会を早天祈祷会だけを残してやってきました。
 ところがもう3年目になるでしょうか、早天祈祷会まで、高砂教会の手束先生のお言葉に信徒の皆さんが触発されはじまったのです。

 それまでは自分の意志で「頑張ろう!」の気持ちが強かったことは否めませんでしたが、この早天祈祷会だけは私の思いが付いていったような形となりました。
 祈祷会と名がついていますので、もちろん朝の祈りなのですが、私の思いは、少し違っていました。祈祷会だけれどもその中で、「礼拝をしたい」と思っていたのです。

 多分それで、朝の集会は、「祈祷会なのか、礼拝なのか」何と呼んでいいかわからないという方もいたと思います。
 全体は早天祈祷会です。しかしその中で、み言葉、賛美、祈り、時間をささげるという、「主のみ前に心静まって座る礼拝の時」を大切にしたいと思ったわけです。

 というわけで、天の神なる父と私たちの教会の父は、今の教会を見て、喜んでくださっているでしょうか、笑っているでしょうか。とにかくここまでこれたことは、それだけで、私には奇跡のように思えます。

 新しい年を迎えて、心新たに、主と共に歩みたいと思います。

 上のみ言葉は、今年の【指標聖句】です。
 今年は父の小冊子「心の強化法」と「笑えば必ず幸福になる」の根元から学びなおし、学ねていきたいと思っています。

 「笑い」は時、場所によっては顰蹙(ひんしゅく)を買うこともありますが、所かまわず、笑い転げるということでもないのです。
 私の魂に向かって、私自身が喜べと口を開くことができるか否かが重要です。

 「私の魂よ!喜べ」と言えないほどの苦しみのなかにいる時に、笑うことなど、心の中でもできないと思うとき、このような時こそ、テストしてほしいと思います。

「私の魂よ、主によって喜びをなせ」
「私の心の願いを知ってくださる主よ、感謝します。今この時こそ、私に喜びをください」

 いろいろと理屈を言う前に、口角を指で突き上げてでも、笑うしぐさをして喜べばいいのです。信仰とは楽しくて、単純です。
 実は難しい人には、神様は難問題を出すのです。(笑)
 単純な人になりたいですね。
  この時、私の願いは必ずかなうというのですから。
 
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。<ピリピ 2:13>

 主は私たちのうちに願いを起こしてくださるお方です。
 つらい時は何もしたくありません。
 痛いときは祈ることさえできません。
 聖書も信仰もほうり投げたいほど打ちのめされて心が怒りでみちている。
 怒りも求めもなくなってしまった。心が動かない。

 こんな時私たちが自分の心に向かって「孝枝よ、起きて床を取り上げて歩きなさい」「喜びなさい」「笑いなさい」と、言わせてくださるのは聖霊様です。
 「聖霊様のお言葉に果たして従えるか」にかかっています。

 さあ、子供に帰って笑いましょう。主の喜びが付いてきますよ。(た)
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by mitiru-takae | 2018-01-23 14:22 | 満ちる | Comments(0)

No.270 勝利/一年間支えてくださりありがとうございます! 2017.12.31

勝 利

その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。<ヨハネ黙示録12:10>

 一年たつのは早いものです。

 先日TV番組の中かCMであったかどうかは覚えていませんが、100歳の老人たちに、「100年生きてこられた感想は?」と尋ねていました。
 なんと、ほとんどの方がこのように言ったそうです。

 「あっという間だった」

 100年があっというまであった、というのです。

 子供のころは一年たつのもなかなかで、小学校の3、4年生にもなるととにかく時間の経つのが遅く感じられます。わたしも大人になることなど、自分には起こりえないことのように思っていました。

 多分、できないことが増えたり、思うようにならないことを自覚するようになったり、夢や希望と、現実とのギャップがだんだんわかり始めてくると、一日でさえ、長~く感じてしまいます。

 さて、私たちも100歳になったとき、同じことを言うのでしょうか。

 この地上で生きてきた時間を振り返ったとき、私たちは「勝利」を宣言したいですね。イエスの十字架によって私たちはサタンに大勝利したのですから。


 11月の第3日曜日から、ゼカリヤ書【ゼカリヤ3:1~10】を礼拝の中で学ばされてきましたが、訴えるサタンの方が神にとがめられているのを、知ることができます。
 私たちを偽りの罪で告発してきた「告発者」、つまりサタンは投げ捨てられたのです。アーメン。

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。<Ⅱテモテ4:7>

 「私たちが神様から出された課題をすべてうまくやりつくした」わけではなくとも、「信仰を守りとおしたね」と義なる栄冠を与えてくださるのは「正しい審判者」なる神です。
 自分の生きてきた証が「主による大勝利」と言い切れる者は幸いです。 

「あっという間に過ぎてしまう」この世での私たちの命の時間は、天に帰るまでの貴重な学びの時です。毎日小さな勝利を続けていきましょう。

 そのために私の周りに起こることの一つ一つを、大切に見つめていきましょう。主と共に過ごす時、小さな勝利は、積み重なって大勝利となるでしょう!(た) 
 

一年間支えてくださりありがとうございます!

【今年の指標聖句】しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」
 
 皆さん、走りましたでしょうか。歩いてみたでしょうか。
 また鷲のように上ることができたでしょうか。
 私はというと、東京ではヨロヨロと銀座を歩き(笑)、電車に乗ってはくたびれ果て、「鷲のようにはいかないわ」と言いたいほど、体力に自信のない一年のようでありましたが、ダビデのように、どんなに肉的、精神的、霊的に苦しく見えるような時でも(いえ、こんな時こそ)、私の背後では最高の神のご計画の実行が、着々となされています。神の舞台は立派に進展していてフィナーレに向かっているのです。
 イエス様の愛に恵まれた素晴らしい一年を、キリストの福音大分教会の皆さんと共に過ごせましたことを主の御前に感謝いたします。来年もよろしくお願いいたします。(来年はもっと笑うよっ!) (た)
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by mitiru-takae | 2017-12-31 07:53 | 満ちる | Comments(0)

No.269 祝クリスマス! 2017.12.24

クリスマス

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「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。<マタイ1:23>


 「毎日がクリスマス」

 釘宮義人牧師は、クリスマスが来るたびに言いました。


 また、「彼(主)は日々、新しい証しを持ってこられる」とも言いました。


 私たちの心が毎日生き生きと、元気に、楽しく過ごせるのは、心が生きているからです。

 心が死んでしまうか、倒れて動けなくなると、私たちの日々はとても重苦しい、辛い日々になってしまいます。

 いままではつらい過去の思い出や、罪の呵責にさいなまされて、元気のない、まっくろけの魂を抱えて仕方なく生きていたような私たちであったとします。

 しかし、もし、新しい今までとは全く違う人生をいただくことができるとしたら、それは何としても手に入れたいと思いますね。

 私たちの、過去も、未来も、そして今現在が、まったく何にも縛られない、自由で、解放された人生に変えられると知ったら、その秘密を何としても知りたいと思うのです。その秘密がイエス様にあるとしたらすぐにでもイエス様のところに行きたいですね。

 そうです、イエス様にすべての答えがあります。


 一週間も、一か月も前のかびたパンをどんなにたくさんいただいてもうれしくありません。毎日、作り立てのふわふわパンがいただけたら、また、ホカホカご飯とお味噌汁がいただけるなら、どんなに幸せでしょうか。

 私たちの健康な体は、毎日の健康的な食べ物と生活習慣から生まれます。


 心も同じです。魂も同じです。もっと言えば霊も同じです。

 食事も、一人暮らしだと、「自分だけだから」とつい手抜きをします。主婦だと、「やはり上げ膳据え膳がいいわ」と、とかくおっくうな気持ちになります。

 多分心も魂も、毎日、新しい、ふわふわパンがいいでしょうし、熱々出来立てご飯が良いのです。


 そのためにはいつも、イエス様の近くいることです。

 そして、イエス様の近くにいつもいるためには、イエス様のお言葉をいつも注意して聞いていることです。そうすると、だんだんイエス様のお心がわかってくるようになります。

 私たちの心が必要とする熱々炊き立てご飯は、イエス様です。熱々スープもイエス様です。

 イエス様のところにいつもいるならば、私たちは飢えることもありませんし、牧者であるイエス様は私をいつも守ってくださることでしょう。


主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。<詩篇23:1>


 私たちは自分からこのイエス様を見つけてイエス様の囲いに入って行くと想像するかもしれません。しかし、実はイエス様ご自身がさまよっている私を見つけ出して、主の牧場の囲いの中に入れてくださるのです。

 

 いつも私と共にいてくださるイエス様、毎日の糧を日ごとに与えてくださるイエス様、このお方こそ私たちの唯一人の救い主、私たちの真の王の王、主の主です。

 今日、このお方があなたの心の中に、来てくださいます。

 Happy Christmas! (た) 

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by mitiru-takae | 2017-12-25 08:31 | 満ちる | Comments(0)

No.259 秋の信徒一泊セミナー 2017.10.15

秋の信徒一泊セミナー

「正月の元日にあなたは会見の天幕なる幕屋を建てなければならない。
そして、その中にあかしの箱を置き、垂幕で、箱を隔て隠し、
また、机を携え入れ、それに並べるものを並べ、燭台を携え入れて、そのともしびをともさなければならない。
<出エジプト40:2~4>

 今年は父(故釘宮義人牧師)の召天(2012.10.5)第5周年記念日を迎えた。ということで、10月8日主日礼拝に永井明牧師(イエス・キリスト福音の群れ牧会長)を鳥栖より是非にとお招きした。
 永井明牧師は、父の記念日にはなくてはならぬ存在のお一人だ。

 父の葬儀の後、この年(2012年)は「秋の一泊セミナー」ができなかった。それどころではない、釘宮家の今後どころか目の前の方向も決まっていない、教会の進むべき道も見えていない状態であった。(だからと言って今見えているのかと言われると、言葉に窮すが・・・聖霊様のお導きの通りです、わっはっは!)

 ところが次の年の「春の信徒一泊セミナー」、そして「秋の信徒一泊セミナー」と、今回まで、休むことなく毎回、聖霊様に導かれている。
 そして、そのあるべき姿というか、セミナーの名が収まるところに導かれているような気がする。週一の聖書学習会、毎朝の早天祈祷会などが発展して、このセミナーに集約されて行っている感じである。
 そういう意味では、学びばかりではなく、祈祷会を週に一度はしたいなあというのも否めない(しかしマンネリ化するので、月に一度の祈り会をもっと充実させたい)。

 朝の礼拝には西宮市から前田ご夫妻がきてくださった。また礼拝から一泊してセミナーに残ってくださった東京からの滝澤伝道師、福岡からは渡辺姉妹と、それぞれ「あかし」をもってきてくださり感謝! 毎週の礼拝は離れていても、主にあって私たちはいつも一つの神の家族であり、なくてはならないキリストの肢体である。

 今回のテーマは「聖なる幕屋」であった。
 これは、今年8月に韓国から二人の牧師先生が「聖幕」の研修に来てくださった、その時の幕屋の写真が手元にあったので、この研修にでられなかった皆さんにも、見ていただきたいという気持ちからである。

 毎回思わせられることだが、プログラムの順序がいつも、聖霊様のお導きによって最適な形で与えられるということだ。つまり、賛美集会で何をテーマにするのか?、み言葉はどこを持ってくるのか?学習会形式にするとして、3回のセミナーの中の役割としての御言葉の箇所は?などなど・・・、まるで頭がごっちゃになりそうなのだが、いつもびっくりするほどのプログラムが与えられる。
 主は最高のプランナーである。

 今回教えられたことの一つに「あかし」ということばがある。
 まず幕屋を組み立て、あかしの箱を置き、それを守るかのように垂れ幕で隠した。
 ここで聖所と至聖所がしきられた。そして器具を配備し聖別する。幕屋は、移動式であるため、事細かに組み立て方の順序などが決められていたのであろう。勿論ここでも主は最高のプランナーであるから。
 「あかし」は普段「証し」として、聞くし、語ると思う。
 「『あかしの箱』を何で隠すのだろう」と渡辺姉が言った。「『あかし』」だから『明かされるもの』?」とせつこ姉、「だから普段は隠されている?」・・・
 「一人一人に明かされるものなんだ」、「沢山ある私たちに与えられた律法は神の言葉、しかし「あかしの箱」は、一人一人に明かされる主の特別なお言葉(レーマ)ではないか」つまりこれは奥義なんだ。旧約の時代は、大祭司だけが、この奥義を知ることができたのだ。今の私たちは・・・・なんと素晴らしい、私の心の中に、イエス様が隔てをなくしてくださった「幕屋」を持っている。(た)

そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。<出エジプト41:34>
あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。
<Ⅰコリント3:16> 
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(釘宮義人牧師召天5年記念礼拝のようす)



















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by mitiru-takae | 2017-10-31 23:02 | 満ちる | Comments(0)

No.258 釘宮義人牧師 召天5周年 記念礼拝 2017.10.08

釘宮義人牧師 召天5周年 記念礼拝

 先日、「立木稠子・教会コンサート」に行くことができた。
 A姉妹が誘ってくださったおかげで、久しぶりに稠子先生にお会いすることができたのだが、つい昨日まで会っていた仲のように親しく接してくださり、とても嬉しく思った次第だ。

 立木稠子先生のお父様はかの立木元大分県知事である。
 戦後間もないころ、立木(元県知事)氏は、当時の福祉課の課長であったか、父の大分駅前の戦災孤児を集めての今でいうボランティアをとてもよく助けてくださったようだ。戦後の大分市の児童福祉は立木(元県知事)氏、そして父(釘宮義人師)らの手によって、ここから始まったといっても過言ではなかろう。
 
 今回の稠子先生のコンサートでは、グレゴリオ聖歌に加えて、み言葉の朗誦という、試みをやってのけてくださっていて、それも詩的な文章である詩編はともかくも、ヨハネによる福音書1章という、普通に聖書のお言葉を読むではなく歌うという、とても嬉しい珍しいものであった。

 おりしも会場となった日本キリスト教団別府野口教会は、明治のころにできた古い教会で、木造の建物の中で奏でるグレゴリオ聖歌や朗誦は、柱や壁の一つ一つが歌声に応えているかのような感じさえして良いものだ(ちょっと偉そうだが…稠子先生もそのようにおっしゃっていたようだ)。

 「幼児期、この近くに住んでいた父も、この教会に通っていたのだろうか…」と建造100年と言われる不老町教会などと並んで、別府市にある古い教会堂は、父の幼児期の姿を垣間見るかのようで、変に懐かしい。

 この父(釘宮義人師)が天に帰ってもう5年になる。
 永井明先生のおかげで、今もこの教会は日岡に立(建)っている。わたしが跡を継ぐ決心を促されたのも、永井明先生という、頼りになる強い後ろ盾があったればこそだ。

 それは、この世的な方法論だけでなく魂と、霊においての良き指導者として、先生が私の目の前にいてくださったので、ここまで進んでこれたのである。
 
 5年という一区切りの年を迎えて、これからの聖霊様のお導きと、方向付けを、きっちり聞き分けていきたいと願っている。

 無我夢中の一年間、さらに「勉強不足だ」と学びに明け暮れた二年目と言い、ここまで来るにはやはり、人並みに「大変」だったわけであるが、それにしても楽しかった。

 「ラブ・ソナタ」以来、入院、手術、薬漬け・・・と、体調不良が続き、それでも、楽しんできた。今は薬の副作用(主が処方する聖霊薬のみの日が早く実現するように祈る)か、声がよく出ないが、それでも楽しんでいる。
 なんだか、とても毎日が幸せなのだ。
 父の「わっはっは!」の声と顔が、いつも横にある。
 これが今の私の「元気の素」らしい・・・。

<詩編121篇1~8>
都もうでの歌
わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。
主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。
見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。
主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。
昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。
主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。
主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。

 これからも主の山を仰ぎつつ、私の助け主を信じ前進していきたい。
 私のエネルギーのもとは父の「わっはっは」、そしてその大元は、イエス様ご自身の「わっはっは」と笑う、豪傑のような神の力強さだ。安心して行ける!

 父召天5周年を感謝!
ハレルヤ! ハレルヤ! ハレルヤ! (た)
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by mitiru-takae | 2017-10-31 23:01 | 満ちる | Comments(0)