No.216 諸人こぞりて/ 奥の細道ギャザリング 2016.12.18

諸人(もろびと)こぞりて 

諸人こぞりて迎まつれ 久しく待ちにし
主は来ませり 主は来ませり 主は、主は来ませり
悪魔のひとやを打ち砕きて  虜を放つと
主は来ませり 主は来ませり 主は、主は来ませり
この世の闇路を照らしたもう 妙なる光の
主は来ませり 主は来ませり 主は、主は来ませり
                  (讃美歌)    

 12月に入るとあちらこちらから聞こえてくるクリスマスソング!

 先日コンパルホールのゴスペルコンサートに出かけた。「イエスは主」、「主なる神」など、英語で大声で叫び歌う声を聴くと、こんなに主をほめたたえている、すごいことだ…、と思いながら心の底で、「この中の何人がクリスチャンなのかしら、信仰を持ってる人はいるのかしら」とまゆをちょっぴりひそめてみたりする。(笑)

 しかし、いやそうじゃない。パウロがエペソで、「あなた方が拝んでいる知らない神を教えよう」といったではないか、そうだとにかく、わからなくてもイエス様をほめたたえるのがいい、もろびとこぞりて「イエス様が神だ、主だ」と叫ぶのが良い。

 実際、賛美、またゴスペルから信仰に入ることは素晴らしい。とにかく賛美はこの世の支配から私たちを守ってくれる…最高の防備武具でもある。(た)
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奥の細道ギャザリング 

そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。<エペソ2:19>

 12月5、6、7日と三日間の行程のうち、仙台、福島の二ヵ所を回ってきました。大分と同じように、キリシタンの殉教の歴史と、人々の心の中に潜む禁忌の言葉「キリスト教」をサタンの手から奪い取り、人々の魂の解放を切に祈ってきました。またキリシタンが処刑された広瀬川にも記念碑がありますので行って皆で祈ることもできました。

 おかげさまで、「ギャザリングにとことんはまってしまった」…といえるかもしれません。これはとにかく自由だからということがあります。しかしこの自由は、「羽目を外し、好き勝手をする」ということではありません。聖霊様のお導きに全身全霊を傾けるということにほかなりません。
 準備は、その多くを人間の知恵でなされたとしても、「そのうち必要なもの、皆と共有すべきことのみが語られ、賛美の霊の導く中で流れに沿って進んでいくのだなあ」と思わせられています。

 ですから、ギャザリングの聖会の中では賛美はとても重要な位置を占めています。もちろん、異言、預言、幻、夢などが、与えられ、解き明かされ、聖書にある通りのことが起きていくのでしょう。もはや、特別なメッセンジャーではなく、牧師でもなく、預言的な集会が繰り広げられていくのだと思います。聖霊様の語ることが優先されるのです。
 そこには、イザヤ書などにある解放、回復、そしてヨハネ黙示録の新天新地の花嫁となるものの集う世界です。

 ギャザリングは共に集って、その場にいないとわからない、説明のしにくいものです。天の父の御心を行うものの集まり、それは天のお父さんの率いる「神の大家族」の集まりです。力強い、父、母的存在の先生方、そしてお姉さんのような「とりなし手」の皆さん、互いに結び合う神の子供たちが「さあ、帰ろう、家に帰ろう」と集ってくる父の家、そのようなイメージが大きく膨らんできます。

 今回「奥の細道ギャザリング」では神の大家族の圧倒的勝利を心に刻んで帰りました。わたしたちの家族、親族、近しい人々、一人残らず祝福し、父は帰りを待っていてくださるんだという喜ばしい確信をいただきました。私たちはあきらめてはいけません。家族のために神の約束を信じて、供えられたそれぞれの道を走りぬこうではありませんか。

 「追いやられたものも、出て行ったものも、皆帰って来て、ともに真の礼拝をする時が来るのだ」と大きなラッパの音が知らせてくださるその日が近いのだと感じます。(た)
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by mitiru-takae | 2016-12-27 09:11 | 満ちる | Comments(0)
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