イエス様の招き
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。<マタイ11:28>
お母さんか、お父さんが、子供に向かって
手招きをしている光景はよく見かける
子供は嬉しそうに、
お母さんに、またお父さんに向かって走りだす
お母さんが自分を呼んでくれているというだけで、
嬉しくてたまらないのだ
そこには期待がある
感動の予知がある
良いことをしてくれるという
自分を招いてくれる人への信頼がある
だから胸を弾ませて、精一杯走っていくのだ
イエス様の招きに応じたいと思う時
考えてみると、それはやはり、重荷を背負っている時だ
重荷のない人はいないかとは思うが
イエス様がご自身のくびきに招いてくださるのは
やはり、重荷を背負っている人であり、
心が疲れ苦労している時であろう
「いや私は幸せで、苦労がない」
そんな人もいるだろう
しかしそのような人の、心の一番深いところに
イエス様は言ってくださる
「重荷を背負っている人よ・・・」と
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。<マタイ11:29>
私を創ってくださった神様をまだ知らない人
そのような人ほど、
自分の重荷が何であるかもまだ知らない
この世界で疲れ果てたとき
私の背負っていた本当の重荷が見えてくる
その時こそ
イエス様の招きに預かるときだ
魂に休みをいただく時だ(た)