完全への渇望
それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。<マタイ5:48>
「だれかが右の頬を打つなら、ほかの頬をもむけよ」
「下着を取ろうとする者には、上着をもあたえよ」
「求める者には与え、借りようとする者を断るな」
悪人であってもできること
それは自分が愛する者に対してのみ
イエス様はここから一歩踏み込んで言う
愛せないものを愛せ
古くは「隣り人を愛し、敵を憎め」と言われていた…
されど「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」
山上の垂訓も佳境にはいる
神の愛がなければ出来るはずもない
「敵を愛する」愛を持て、祈れと言う
自我が占領している私たちの心にはとてつもなく遠い話
神への従順を持ち合わせない自己中心な
私たちの心には無理なことだ
にもかかわらず
こんな私たちにイエス様は語ってくださる
あなたの最終目的は「神のように完全になれ」だ
神の完全とは何であろうか
イエス様が「敵を愛せ」と言った、全てを覆う完全な律法
「愛」において完全ということだろうか
イエス様による愛の完成に比べうるものはこの世にない
私を愛し私の罪のため命を捨てたイエス様に
私が愛されていることをまず知ることだ
ここから「完全」への渇望が始まる(た)