No.152 わたしはすばらしい 2015.9.27

わたしはすばらしい

 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。 <創世記1:31>
 
 9月24日、皆様のお祈りに支えられて、無事退院いたしました。ありがとうございます!
 今回の入院で、胆砂を沢山抱えて膨れ上がった胆のうを全部摘出いたしましたが、この手術に至ったのも不思議な神様のお導きによるものでとても感謝しています。
 誰でも、また特に医療に携わっている方々などは、人の身体について、また生命の不思議について何度かは考えたり、感動したりという経験があると思います。
 創世記を見ると、人、またその他の動物たちの食物として植物が創られていますが、この植物一つとっても、偶然に出来たとは思えない素晴らしいできばえです。その後に作られた太陽、月、星、これらの天体は人が想像すら出来ないほどの神様の永遠を顕す豊かな存在です。神様がお創りになったのですから当然ですね。
 その中で、ひときわ目立って輝いている(はず)のが人です。すべての被造物が、私たち人の為に創られたのです。人は「創造の冠である」と、昔、ベテル聖研を受けたときに教わったことがあります。 
 神様が創造の業を終えたとき、そのすがたを見ることが出来たならば、見ている私たちのほうが感動の涙で、グチャグチャになっていたでしょう。何といってもそれは「はなはだ良かった」のですから。
 そこで、私たちは自分をもっとよく見つめてみると、本当にすばらしいと感動してしまいます。意識していないのに呼吸をし、食べ物は身体の中で、私が何もしなくてもちゃんと必要なものを取り入れ、いらないものの排出を促してくれます。生命の神秘です。
 もっと凄いのは、心(魂)です。
 もっと凄いのは、霊です。
 私たちに対する永遠のいのちの保証は霊に押されている「聖霊の証印」です。
 そして、天に帰るときに必要なたった一つのものです。
 「えっ! だったら今生きるのに身体や心はどうでもいいの?」
 そんなことはありません。
 身体があるからこそ、この世界で心と霊を持って成長していけるのです。
 故くぎみやよしとの日岡だより(「おのれを尊べ」参照)の一文に、「唯物論者の言う生理的肉体人間のみを人間というのも、霊と心を疎外した片よった意見ではあるが、かといって心と霊だけが自分だというのも狭い了見だ」とあり、その後このように言及しています。「この私は事実この肉体であり、この肉体を離れて、この私はないのです。今のところ。」 
 私たちは、今もっている私のすべてが、神様の創られた素晴らしいものだということを誇り、くぎみやよしとの言う「おのれを尊べ」を実践したいと思うのです。(た)
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by mitiru-takae | 2015-09-30 23:00 | 満ちる | Comments(0)
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