奇跡 2014.12.14

奇跡

 律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。<ヨハネによる福音書1:17、18>
 
 唯一の創造主なる神様が、他にはいない、ただ一人の御子を私たちにくださった。人の形としてこの世に存在させて下さったのは聖霊様だ。神様の愛が御子イエス様という恵みを聖霊様によってこの世に顕して下さった。これはすべて神様の御手の業であり、ご計画によるものである。
 イエスと言うお名前は、ギリシャ語「イエスース」からきている。またヘブル語では「イエシュア」といい「主は救い」という意味だ。神様はイスラエルの民をエジプトから救いだすために、モーセをお立てになった。だがイエス様は人類のすべてを救い出すために来られたのである。
 私たちの救いのために、神様が人としてこの世に生まれてくださった。イエス様は神様からの最高のプレゼントだ。
 イエス様は、この地上に来られて聖書のお言葉をことごとく成就してくださる。新天新地に私たちが神様と共に住まうその時が、もう既に私たちの中に成就していく。イエス様を受け入れ、信じるならば、「神と人とが共に住む」(インマヌエル)お方が私の魂のど真ん中に座っていてくださるからだ。
 イエス様によって神様のお言葉はこの私たちの中に成就するのである。
 
 12月7、8日に東京秋川にある、キリストの福音秋川教会に行ってきた。秋川教会に行く前にお伺いしたN姉妹のお宅で、姉妹の眼の治療に関する神様の奇跡のお証を聞いた。まるで失望してしまいそうなアクシデントさえも今思うと奇跡だったとしか思えない。そして再手術の予定であったのが、手術前の検査をしてみるとすっかり眼のレンズはクリアになっていて、再手術はしなくてすんだという訳なのだ。神様の御業を心から感謝して、共に礼拝することが出来た。
 また秋川教会では2週間くらい前にK兄弟が脳梗塞で倒れ病院に運ばれていたのだが、初めは右手がうまく動いてなかったし、言葉もなかなか思うようにでなかったらしい。
 皆で祈り、またお世話をしていくなか、病院に見舞いに行った滝澤伝道師も腕がしびれるほどに渾身をこめて祈ったそうだ。ここでも奇跡が起きて、私たちが行った時には、手を握ったり開いたり伸ばしたりしていて、言葉も声は小さいけれどニコニコして話して下さるほど回復していた。皆さんの祈りが主に届いていたのだ。
 秋川教会では、夜クリスマス礼拝の中で聖餐式をすることが出来、感謝の中、賛美の歌声と共に祈りの声が響き渡ったのである。
 「毎日がクリスマス」と生前釘宮義人牧師が毎年のようにクリスマスになると語っていたのを思い出すが、確かに私たちクリスチャンにとっては、毎日がクリスマスの星の下であり、イエス様の十字架の前であり、イースターの朝であり、ペンテコステの二階座敷である。これより大きな奇跡は無い。(た)
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by mitiru-takae | 2014-12-20 10:56 | 満ちる | Comments(0)
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