「神の計画」の不思議 2014.9.7

「神の計画」の不思議

ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。
 「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。<ローマ人への手紙11:33、34> 
 
 創世記27章をみると母リベカとヤコブの策略、まんまとだまされた父イサクと、どんなに欲しがっても長子としての祝福を手に入れることの出来なかったヤコブの兄エサウなど、ドキドキするくらいのイサク家のお家騒動を見ることが出来る。
 そしてとにかく祝福と言う言葉が20回も出てくる。それは家族のあり方などを問うというより祝福するための神の絶妙な計画を見せつけてくれているようだ。
 登場人物の一人ひとりを深くみつめていくと、ここに神の深い、わたしたちには不思議としか言いようの無いほどのご計画が浮かび上がってくる。
 リベカはどうして自分の策略をヤコブに命じて実行させたのか。私はリベカがそれほどヤコブを偏愛していたのかと想像するとき、彼女が子供が生まれる前に神からの啓示をいただいていたのだと思い出す。それは「兄は弟に仕えるであろう」<創25:23下>と言うお言葉だ。
 確かにリベカにとって、天幕にすむ穏やかなヤコブは偏愛したくもなったであろう。一方、神の啓示はリベカにとって「確実に神の祝福を受け継がせるものとしてヤコブは自分が守らねばならないものだ」という、母としての使命であったとも思えるのだ
 神様のご計画とその方法は極めがたいと言うより不思議だ。イサクにいたっては、だまされたことによって、かえって継承問題について悩むことも罪責感をもつことも無くなってしまった。神のお言葉に反するという罪を犯すことも無くなった訳だ。それはリベカが神のお言葉をイサクに伝えてない訳はないと思うからだ。
 それにしても長子はエサウだという、争いごとを嫌うまじめ人間のイサクにとってこの継承権についてはかなり悩ましい問題であったのではなかろうか。
 軽々しく長子の特権をヤコブに渡したエサウも、実は祝福がどれほどの物かを分かっていたに違いない。祝福をもらえなかったエサウは「声を上げて泣いた」と書いてある。
 ヤコブは貪欲であった。神の祝福をなんとしても自分の物とするために、母の策略を言われるままに実行したのだ。その結果ヤコブは祝福を得たが両親や兄のもとから離れ、嫁探しの旅に出なければならなくなる。然しその旅に出てヤコブはいつも共にいて下さる自分の主を知るのである。兄から逃げ出すと言うこともあったのだろうが、ヤコブは新たに神の契約を受け継ぐものとして、出発しなければならなかったのであろう。
 私たちはヤコブのように神のご計画の中で個人的に主イエス様に出会うことができる。何が起こっても、何処にいても、いつも主のご計画のなかに生かされていることを感謝したい。【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-09-11 09:41 | 満ちる | Comments(0)
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