求める
わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかた <エペソ人への手紙3:20より>
私たちの主は、「その思いや求めに応じて、何かをしてくださる」というのではないのですね。びっくりすることに、主はわたしたちの求め、又思うところのすべてを把握しておられる、知っていてくださるのです。そして、それをはるかに越えて叶えてくださることの出来るお方であるというのです。
この偉大なお方からの祝福をいただけるのですから、とにかく「祈り、求める」「ただひたすら求めつづける」ということが信仰の持続のキーワードでしょうか。
現在の自分の状況がどんなに絶望的なものであっても、「私たちは祈りさえすればよい」
と言うのはあのブルース・ウイルキンソン師です。
「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。<マタイによる福音書4:9,10>
私たちの魂が荒野に居るような時、サタンは私たちを巧妙にそそのかします。まるで、世界の幸福を独り占めさせてくれるような、甘い甘い囁きです。
しかし私たちは、主なる私の神に仕え求めて、祈らねばなりません。「主よ、あなたがわたしに求めておられることをなさってください」です。このように祈っていくとわたしの移すべき山を、目の前にみることになります。
見かけはまるでサタンのほうが、幸せをくれるようにみえます。
しかし、この惑わすものについていくと永遠の滅びです。狭く見える、険しそうに見えるが、主への道は永遠の生命です。たとえ、大きな山が出現したとしても、おそれることはありません。
山を移すほどの大きな信仰はイエス様の信仰です。山を移す事は「主が私に求めておられる」ことですから、わたしたちはたとえそれが困難に見えても、イエス様をゾッコン信じぬいてスコップで土を放り投げるようにイエス様に投げつけましょう。
必ず山は移ると信じて。
大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となる。 <ゼカリヤ書 4章 7節4:7>
【釘宮孝枝】