永遠に続く祝福 2013.5.26

永遠に続く祝福  

 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。
 見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである
                        <コリント人への第二の手紙 / 4章 18節>
 
 目に見えないものってたくさんあります。私はよく空中教会という言葉を使いますが、私の父は「心の王国」といいました(^^) イエス様を信じるものの心、いえ霊のネットワークなのです。霊のコミュニケーションが出来るところ、宝の保管場所、今で言えば、クラウドといわれているものの様な(私もよくわかっているわけではないのですが…)、なんだかやっと聖書に科学や文明が追いついてきたようなそんな気さえします(言いすぎですか(苦笑)?)
 そこには、きっと無限の祝福が隠されている・・・そのように思いませんか?だって天国とつながっているところだからです。その天国はわたしたちの只中にもあると聖書はいっています。
 ですから、イエス様そのものがわたしたちのエクレシア、天国、宝のあるところ、御座、至聖所…そうなんです。イエス様がすべてなのです。見なくて信じるものは幸いです。
 わたしたちは求めた時、もう、すべてをいただいているに違いないのです。これを信じることこそ信仰であり、その信仰とは確実に信じられるイエス様の信仰(釘宮義人牧師がいつも言っていた)を私たちが所有しているということなのです。
 最近、祝福の祈りについて教えられるところも多く、証しもたくさん出てきていまして嬉しい限りです。そんな中、今、週報に載せて毎週告白しています「ヤベツの祈り」をさらに思い返すべく、そのすばらしさを先日いらっしゃっていました永井明先生が木曜の聖書学習会で語ってくださいました。その中の天国にあるまだ受け取っていない祝福(主が用意してくださっているもの)が、蔵の中に山のように積まれているお話しがありました。私たちが求めていないからなのです。
 「私たちはもっと求めていかないとね」とはなしていたとき、最近婚約したK先生のことをお聞きしました。そのイサクならぬK先生の妻選びのことです。先生の信仰を見せられた思いがしました。すべては申し訳ないことに覚えていないのですが、ご両親である牧師先生ご夫妻がこのようなことをいっておられました。
 お嫁さんをお世話してくださる方に要望をだしました。というよりイエス様に要望をはっきりと書きだし祈ったのですね。クリスチャンホームのお嬢さん、もちろんご本人が信仰をお持ちであることもですね。賛美についての重荷をお持ちであること。子供たち、教会学校についても重荷を持てる方。そして自分より年下であること。などなど、すごいですね。これほどはっきりと主の前に要望をつきつけたのですから。そして祈りは叶えられ、祈りは先生のものとなりました。求めよさらば与えられん!勝利!
 神様はいつまでも、いつまでも待っておられ、わたしたちへの祝福は尽きることなく、永遠になくなることがありません。
 主よ、わたしを大いに祝福してください。アーメン!
by mitiru-takae | 2013-05-29 14:50 | 満ちる | Comments(0)
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